お話を伺ったのは
「松田美智子料理教室」主宰。食材の味、風味、栄養素を大切にした「理」にかなった調理法の追求している。オリジナルメニュー開発のほか、プライベートブランド「松田美智子の自在道具」を立ち上げ、現在の日本に必要な調理道具を使い手の立場から開発。また、ベーシックな食器の開発も手がける。近年では開発の幅はリビング用品全体に及ぶ。
コロナ禍前は、月に3回の外出でリフレッシュ
松田さんの母親は夫の死後、鎌倉の自宅で少しの間、一人暮らしをしていました。しかし、階段や段差も多い一軒家での高齢女性の一人暮らしはやはり心配…ということで、介護マンションへと移ったそうです。ここで2年くらい過ごしたところで、部屋の中で転倒し、骨折。手術をして大学病院でのリハビリを経て、介護施設へと移りました。
「人工関節を入れたので、折った足のほうがよく動くくらいに回復。歩行はゆっくりですが、杖を使用せずに歩けるようになりました。ただ少しずつ認知症も進み始めたので、ちょうどよいタイミングかもしれないと思い、介護マンションから介護施設に移ってもらいました。そして、コロナ禍前は、ひと月に3回くらい、美容室・ネイル・食事を各1回ずつという感じで外に連れ出していました」
食事をする場所はほぼ決まっていて、ホテルオークラ内のレストラン。「高齢の親と一緒に食事を楽しむお店を選ぶ条件は、広めのスペースのある個室トイレがあり、落ち着いて利用できること。同じホテル内のレストランの中でも、近くに広めのトイレがあるお店を利用するようにしていました。ホテルオークラでは、中華、お寿司、洋食をローテーションしていました」
お気に入りのレストランで好きなものを食べ、娘とゆっくりと過ごす時間を母親はとても楽しんでいたそうです。ただ、こうした外出もコロナ禍により、できなくなってしまいました。そして、自由に会うことができなかった3年の間に、母親の認知症はずいぶん進んだ…と感じるそうです。
差し入れは、その場で一緒に楽しめる量に
最近はもっぱら、松田さんがちょっとした差し入れを持って施設を訪ねるというスタイルになっているそうです。
このとき持参する差し入れは少量にするのが原則。「冷蔵庫に入れて帰っても、忘れてしまって腐らせてしまうと思いますので、たいていは、その場で一緒に食べきれるだけにしています。いちごなら数個、メロンもカットしたものを2~3切れ容器に入れて。ケーキならショートケーキではなくプチフールにしています。ただし、みかんのように、テーブルの上に出しておいても大丈夫なものは、いくつか置いてくることもあります」
2~3口で食べられそうなサイズのものを持参して一緒に食べる。食べきれない分は持ち帰るのが基本
また、どら焼きなどの和菓子は個包装になっていて、少し日持ちのするものを。袋が開けられないこともあるので、はさみで小さな切り込みを入れておくといった気遣いも忘れません。飴はなるべく小さくて、噛みくだけるものが食べやすくてよいそうです。
忘れてもOK!その瞬間を楽しむことに集中
差し入れは、お菓子や果物などの食品だけでなく、おしゃれだった母親に喜んでもらえるよう、明るい色の洋服をプレゼントすることも多いそうです。「洋服は、ゴム付きズボンのような、着脱がラクなデザイン。着心地のよい素材のものを選ぶようにしています。ローズピンクやターコイズブルーといった、目の覚めるような色の服を着ると、気分が明るくなるようです」
といっても、「次の日には忘れてしまっているのですけどね」と笑う松田さん。こうした洋服のプレゼントも「そのとき、少し気分が変わればいいな」というくらいの気持ちでいるそうです。「恐らく私が帰ってしまったら、もうこうしたひとときのことは忘れてしまうのだろうなと思います。でも、それでいいと思っています。そのとき、その場で、気分が上がり、楽しいと思って笑顔を見せてくれたらそれで十分です」
小さな手仕事で、社会に貢献できる喜びを
「私が行っているチャリティ活動の手伝いを、母にお願いすることもあります。毛糸で編んだぬいぐるみを、子どもたちに寄付するという活動ですが、ニットメーカーから寄付していただいた毛糸を玉にするという作業を、母だけでなく、施設にいるお年寄りに参加してもらっています」
こうやって自分が作業に参加してくれたものを、子どもたちに寄付するということがわかると、みなさん喜んでくれるそうです。
「人の役に立っているという実感というのはすごく良い刺激になるようなので、こうした活動は大切にしていきたいですね」
高齢の母親が安心して食事を楽しめる環境が何より大切
ようやくコロナ禍も落ち着いた今年。コロナ禍でできなかった88歳のお祝いを、施設内の部屋を借り、料理屋さんで作ってもらったお弁当を食べて、家族でお祝いをしたそうです。
コロナ前に楽しんでいたホテルでの会食にしなかったのは、母親の状態がずいぶん3年前とは違ってきたからだそう。「ずいぶん認知症も進んでしまったので、プロの介護士さんのいないところへ、家族だけで母を連れ出すのはちょっと怖いなと思いました。トイレの介助の仕方も3年前とは違ってきていますし」
母親本人も普段と同じ生活空間で過ごすほうが落ち着いていられるそう。トイレについても、家族より、普段お世話をしてくれているスタッフに介助してほしいと思っているようです。
「娘としては、せっかくのお祝いの席なのだから、ここの料理を食べさせたいとか、あのお店に連れて行きたいとか、いろいろ思ってしまいます。でも、食事を楽しむ上で何よりも大切なことは、本人が安心してくつろげることかなと思うようになりました。
家族も、介護のプロがそばにいるので不安がない、というのがありがたいです。母に楽しい時間を過ごしてもらうことに100%徹することができて、笑顔が増えます。大切な人と食事をともにする最大の目的は、何といってもみんなが幸せな気持ちになることですから。お正月も、おせちを持参して部屋を借り、施設内で過ごそうと思っています」
取材・文/瀬戸由美子