快晴の日曜日、宮城県へパートナーくんと共に行ってきました。
高速は使わずに、ゆっくりと景色を楽しみながら、秋田・大仙市から横手市、横手市から107号線で湯田温泉のある岩手県西和賀町湯田(にしわがまちゆだ)へ、そして北上市、そこから4号線で仙台へ行き、松島まわりで石巻市まで。
8年前の東日本大震災のあと、復興した街をこの目で見たいと常々思っていて、やっと今回行くことができました。
あらためてあの日を思い返し、元通りになった街並み、それをやり遂げる人々の強さを感じたくて、やっと、です。
石巻に着き、最初に向かった長く続く防潮堤。あらたに建設されていますが、工事が遅れ色々とあるらしく、未完成だそうです。
防潮堤からの景色、広い海を見ていると、胸がギュッと苦しくなるような感覚を覚えました。
津波のラインが引かれた津波避難ビルを見上げ、次に向かったのは市内中心部にある日和山(ひよりやま)公園。
広いこの公園には、松尾芭蕉句碑や斎藤茂吉、石川啄木、宮沢賢治の歌碑があり、石ノ森萬画館という石ノ森章太郎記念館もあります。
お土産を買える売店もあり、観光や散策にもとてもいい場所です。
今回は観光とは違う目的なので、散策はせず、しばらくフェンス越しに景色を見渡していました。
フェンスには、津波で壊滅する前の街の写真がはめ込まれています。
日和大橋方面の景色は、旧北上川(きゅうきたかみがわ)河口から太平洋を眺めることができます。
同じ場所から撮影された、テレビで何度も見た津波の猛威を思い出し、今は静かな海と街の景色を見下ろしていると、何とも言えない気持ちがこみ上げてきて、視界がぼやけてしまいました。
大切な人を失い、家が流され、仕事まで失ってしまった人たち、その悲しみや虚しさは、私の想像をはるかに超えるものでしょう。怒りもあっただろうと思います。
東日本大震災記念碑を撮影しているパートナーくんが、文章が刻まれた土台に写りこんでいますが、撮影したあとに文章を全部読んだ彼も何かこみ上げるものがあったようで、しばらく黙りこんだまま、海のほうを眺めていました。
私が住む秋田は、地震による家屋倒壊などその他の被害はほとんど無く、それでも1日半の停電・断水と、1週間ほどのガソリン不足による販売の制限と、ガソリンスタンドの1kmはあろうかという車の行列を経験し、ごく最小の被害ですんだ秋田でさえもこんな事態になるのだと、この先に起こるかもしれない災害について様々なことを考えさせられました。
何よりも、テレビで目にした地震・津波の恐ろしさに震え、涙しました。同じように感じた人は全国にたくさんいたと思います。
常に最悪の事態を想定するというのは、なかなかできないものですが、何かを備えることはできる。あの日を忘れず、日本人の底力を誇りに、小さなことでも私ができることをしていきたい。公園に綺麗に咲いたツツジと、草むらにたくましく咲いたハルジオンのようにありたい、そんなことを思いました。
防潮堤などの工事の遅れもさることながら、ところどころにはまだ、横倒しになったナンバーのない錆び付いた車が寄せられていたり、廃屋も空き地も見受けられ、すっかり元通りというわけではないのだなと、現実を知り、あそこからの復興は、あらためて大変なものだと思い知りました。それでも街並みは綺麗になり、公園ではお祭りのような行事が催され、元気になっているこの地域の風に触れることができた、嬉しい1日でした。