台風19号では軽井沢も台風の進路にあたり、広域の停電、断水や土砂崩れ、上信越道の一部閉鎖、新幹線の水没による本数の制限など生活に大きな影響がありました。現在では、復旧をしておりますが、台風による強い雨や風により、木々の葉は、早くに落ちてしまう物もあり、10月からの紅葉が例年通りとはいかなくなってしまった部分もあります。それでも赤や黄色に染め上げた木々が、華やかに観光客の方をお迎えし、11月中旬ごろまでは紅葉を楽しむ事ができました。
これからの観光にお越しになる方々にお立ち寄りいただきたいのが、重要文化財でもある「旧三笠ホテル」です。
なぜかというと、今年の12月末で一時閉館され、耐震工事及び補修工事が行われるためしばらく館内を見学することができないからです。受付の方にお聞きすると、工事は少し長くかかるようでいつまで閉館かは未定とのことでした。
私は軽井沢ってどんな町ですか?と問われると”古き物を大切に、そして新しいものを柔軟に取り入れる懐の深い町“と答えます。
まさに、旧三笠ホテルを見学すると、古き時代からずっとその精神を受け継いでいるとわかるのが興味深いところです。
旧軽井沢銀座より三笠通りを白糸の滝方面へ向かうと、右側に赤い屋根、窓の白く太い縁取りが印象的な旧三笠ホテルが現れます。
旧三笠ホテルは、木造純西洋式ホテルとしては札幌にある豊平館(明治13年)に次ぐ古い建物です。特筆すべき点は、監督、設計、施工すべて日本人の手によるもの、そして材料も日本の木材を使用した”メイドインジャパン“の西洋建築であるということでしょう。
ホテルの営業が開始された明治39年には電灯によるシャンデリア、英国製タイルを貼った水洗トイレ、猫足の浴槽、英国製のカーペットなど当時の最先端、最高級の設備が整えられていました。
「軽井沢の鹿鳴館」と呼ばれ政財界や文化人に愛されたその外部及び内部が丁寧に補修、保存され、ある部分は現代の物も交えて私達に華やかな軽井沢浪漫を感じることができるように展示されています。
一階ロビーは、高い天井、大きな窓から入るやわらかな日の光に包まれて輝く暖炉やシャンデリアがとても美しい。三笠ホテルの頭文字であるM・Hが隠し文字で表現されているカーテンボックスも、当時としてはきっと珍しかったことでしょう。
西洋式なので、キーボックスを見ると部屋番号に「13」はなく、かわりに「4」や「9」の部屋があったのも興味深いです。
この部屋で舞踏会なども催されたといいます。その光景を思いながら見学するのも楽しいですね。
明治時代のガラスは厚みが不均一のため、窓越しの風景がゆがんでみえ、当時の人たちが見ていたものを知ることができます。
なんでもクリアに見えてしまう現代よりも、趣があったかもしれません。
当時、ホテルで振る舞われていたという幻の西洋風カレーは復刻されて、軽井沢町内で味わう事ができるお店もあります。町内のお土産屋さんやスーパーなどでもレトルトカレーとしても販売されていますので、開業当時のホテルの味をご家庭で楽しまれるのはいかがでしょうか。
古き時代の物を見学することは、現代社会の様々な利点や欠点を再認識する事にも役立ちます。失われつつある良さや趣を感じつつ、今という時代を生きていることに感謝をしたいと思います。