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織田信長の弟 有楽斎が作り上げた美の境地

吉田さらさ

吉田さらさ

寺と神社の旅研究家。

女性誌の編集者を経て、寺社専門の文筆業を始める。各種講座の講師、寺社旅の案内人なども務めている。著書に「京都仏像を巡る旅」、「お江戸寺町散歩」(いずれも集英社be文庫)、「奈良、寺あそび 仏像ばなし」(岳陽舎)、「近江若狭の仏像」(JTBパブリッシング)など。

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こんにちは、寺社部長の吉田さらさです。

 

今回はサントリー美術館で開催中(~2024年3月24日〈日〉)の「四百年遠忌記念特別展 大名茶人 織田有楽斎」のご紹介です。

まずは、織田有楽斎とはどういう人物なのかというお話からはじめましょう。

織田有楽斎(武将時代の名は織田長益)は、その苗字からも想像できるように、かの織田信長の弟です。といっても13歳下とずいぶん年齢は違うのですが、織田家の有力な武将のひとりでした。

本能寺の変の際は難を逃れ、その後は豊臣秀吉、徳川家康に仕えました。晩年は京都・建仁寺の塔頭である正伝院を再興して隠棲し、茶人として活動します。正伝院はその後正伝永源院と名を変え、現在も有楽斎ゆかりの文化財が多数伝来しています。

 

今回の特別展は、有楽斎の四百年遠忌にあたって正伝永源院に伝わる文化財を再度調査し、この人物を捉えなおすために構成されたものです。

 

本能寺の変の際に難を逃れたことから、のちの風聞書に「逃げた男」というような不名誉な書かれ方もしている有楽斎ですが、それは一方的過ぎる見方ではないのか? また、東京の有楽町という地名は織田有楽斎の屋敷があったことに由来するという有名な話は本当なのか? ちなみに近年では、それはあくまで一説ということになっているそうです。関ケ原の戦いのあと、徳川家康からこのあたりの土地を拝領したとされますが、当時はまだ沼地で、屋敷はなかったという説もあるとのこと。

 

織田有楽斎坐像 江戸時代 17世紀
一軀 正伝永源院

 

生前の姿を写したと伝わる彫像。晩年に剃髪し、禅宗の僧侶のような衣を着ていますが、僧ではありませんでした。表情はきりりと引き締まり、茶人としての落ち着いた風情と同時に武将として活躍した人物らしい意志の強さも感じさせます。

 

 

第一章「織田長益の活躍と逸話」

戦国武将時代の織田長益を知る資料が展示され、“逃げた男”と呼んだのは誰なのか?

その見方は果たして正しかったのかが問いかけられます。

本能寺跡出土瓦 桃山時代 16世紀 
31点 京都市 【通期展示】

 

明智光秀の裏切りによって急襲され、自害した織田信長。日本史上の大事件が起きたあの本能寺の瓦です。これはなかなか見る機会のないものだと思います。

織田長益こと有楽斎は難を逃れたことから「逃げた男」とも呼ばれたのですが、この後、長く生き、茶人として大成して行くのです。

 

 

第二章「有楽斎の交友関係」

本能寺の変後、織田長益は、まずは豊臣秀吉、その後徳川家康に仕え、功績を挙げました。

大坂夏の陣後、京都に移り、正伝院で隠棲。

名僧や武将などと茶の湯を通して交流します。

徳川家康書状 江戸時代 17世紀 
一幅 正伝永源院 【展示期間:1/31~2/26】

 

徳川家康の書状。淀殿の側近に宛てたものと推定されているそうです。

「懸案の件は有楽斎がよくやってくれているのでご心配なく。秀頼様によろしく」というような興味深い内容で、家康が有楽斎を信頼していることが伝わってきます。この章ではほかにもさまざまな人物の書状が展示され、有楽斎が茶の湯を通して当時の武将や文化人との活発な交友関係を結んでいたことがわかります。

 

 

第三章「数寄者としての有楽斎」

正伝院に隠棲し、茶室「如庵」を建て、

茶の湯三昧の日々を送った有楽斎が所有したと伝わる茶道具の名品などが展示されます。

扁額「如庵」 江戸時代 18世紀 
一面 正伝永源院 【通期展示】

 

有楽斎が正伝院に開いた茶室「如庵」は国宝に指定され、現在は、愛知県犬山市の「有楽苑」に移築されています。その後の茶室の規範となり、多くの如庵写しの茶室が作られました。如庵という名は、有楽斎のクリスチャンネーム「ジョアン」に由来するという説もあります。

 

青磁輪花茶碗 銘 鎹 南宋時代 13世紀 
一口 マスプロ美術館 【通期展示】

 

透き通るような青緑色。六輪の花のような形。側面にヒビ割れがあり、三か所を鎹で止めています。このような補修で茶碗として使えるのかどうかはわかりませんが、鑑賞という観点からは、鎹があるために美しさがより引き立つように思えます。ヒビ割れも個性として慈しむ、日本人ならではの美意識。

 

重要美術品 大井戸茶碗 有楽井戸 
朝鮮王朝時代 16世紀 一口
東京国立博物館 【通期展示】

 

朝鮮半島で生産され、日本に伝わった井戸茶碗。本国では雑器だったのかも知れませんが、日本では、侘びた美しさがあると評価され、茶の湯の器として珍重されました。

この有楽井戸は日本に現存する井戸茶碗の中でも指折りの名品のひとつで、有楽斎が所有した後、豪商の紀伊国屋文左衛門に伝わったとされています。

 

呼継茶碗 桃山時代 16~17世紀 
一口 永青文庫 【通期展示】

 

大きく欠けた部分に染付の破片をはめてつくろった個性的な茶碗。こうした品を愛でるセンスにも独特の美意識が感じられます。有楽斎が所有した後は細川家に伝来したとのことです。

 

 

第四章「正伝永源院の寺宝」

この章では、主に有楽斎没後の寺宝が展示されます。

蓮鷺図襖 狩野山楽 江戸時代 17世紀
十六面 正伝永源院 【通期展示】

 

同上(部分) 写真提供/四百年遠忌記念特別展「大名茶人 織田有楽斎」

 

正伝永源院の客殿の東側、北側、西側の三面を彩る見事な襖絵。金地に白い蓮の花が浮かびあがり、空には鷺や燕が飛び交っています。こんな襖絵に囲まれた部屋にいたら、本当に蓮の池を眺めているような気分になりそうです。

 

 

第五章「織田有楽斎と正伝永源院」

この章では、織田有楽斎と正伝永源院の今の姿を見ることができます。

銹絵歴文茶碗  樂了人 江戸時代 18~19世紀
一口 正伝永源院 【通期展示】

 

暦をデザインに用いた茶碗。有楽斎の茶室如庵の壁に暦を貼り付けた「暦張り」という部分があるため、この暦模様の器は有楽斎への敬意を表したものとも考えられています。

 

有楽斎手造茶碗 桃山~江戸時代 16~17世紀
一口 正伝永源院 【通期展示】

 

有楽斎は茶杓や茶碗を自作して茶会で用いたことが知られています。それらはほとんど残っていませんが、これは有楽斎の手造りと伝わる貴重な茶碗です。

 

 

四百年遠忌記念特別展「大名茶人 織田有楽斎」

2024年1月31日(水)~3月24日(日)

サントリー美術館

※作品保護のため、会期中、展示替えがあります。

詳細はサントリー美術館の公式サイトをごらんください。

 

 

𠮷田さらさ 公式サイト

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