これまでの旅。
*移動距離の前にある RE2312 という番号は列車の番号。
チヴィタ・ディ・バニョレッジョ~オルビエート バス
オルビエート〜フィレンツェ RE2312 191km
フィレンツェ〜ヴェネツィア FA9438 243km
ヴェネツィア〜トリエステ FB9737 148km
1日の移動距離 582km 累計 733km
トリエステ〜ピラン(鉄道が通っていない) バス
今回はここから⇩
ピラン~トリエステ バス
トリエステ~ウーディネ ICN770 83km
ウーディネ〜ウィーン EN236 642km
ウィーン〜ウイナーノイシュタット RJ 49km
ウイナーノイシュタット〜ショプロン R 33km
1日の移動距離 803km 累計1536km
<前回からの続き>
スロベニアの美しい街ピランを観光し、1日で16795歩、13.24kmほど歩いてくたくたになった私は、トリエステからよろよろとICN770に乗り込み、うとうとし始めた。一方、鉄ジャーナリストたちは、駅についた途端に目が覚めたように生き生きとプラットフォームや列車を撮影しまくっていた。
ウーディネまで1時間20分。そこから、22:47から20分遅れで出発したEuroNight という夜行列車に乗り替えた。
オリエント急行の客室を使った寝台車は機能的でコンパクト。乗り込むとすぐにキャビンアテンダンドが朝食の注文を取りに来た。
客室にはミネラルウォーターだけではなく、寝酒も用意されている。さすがヨーロッパ。
上段は、こんなベッドになっている。
コンパクトな二段ベッドの下段を荷物置きに、上段で寝ることにする。梯子をかけて上に登り、バタっと眠る。
*ちなみに、この日は夕食を取る時間がないということで、それぞれ鍾乳洞近くのレストランから鳥の唐揚げ弁当をテイクアウト。
鉄道トライアスロンの旅は、たまに食事をする時間がない。
旅のヒント:電車の旅はスケジュールが変更になることがあるので、非常食を常にバックに入れておこう。
起きると、列車はスケジュールより2時間遅れていて、しかもコースを変えてオーストリアを北上中だった。日本有数、いや世界有数の鉄道ジャーナリスト (オタク)が揃ったチームは、全く驚くこともなく
「2時間遅れですねえ。しかも予定と違っているところを走ってますねえ」
なんて呑気に話している。
「予定と違っているってどういうことですか?」
やや青ざめて質問したが、Mr.ユーレイルパス鹿野氏は
「いや、よくあるんですよ」
(よくあるのかっ!)
「本来は、ウーディネ からザルツブルグ〜リンツを抜けてウィーンに行くはずが、夜の間にザルツブルグの手前で東に曲がり、ゼルツタールを北上し、リンツというコースに変わったんです。ちょっと遅れますけど、目的地には着きますよ」
ぜんぜん位置関係がわからなかったが、大丈夫らしい。
列車の旅のヒント:よく遅れるので旅の予定はゆとりをもたせて組むこと。長距離の夜行列車は、さらに遅れる可能性がある。またルートも変わることがあるが驚いてはいけない。
次は愉快な仲間たちとICN770の車内の様子をご紹介。
時間通りに部屋に届けられる朝食。
ホテル並みのアメニティもある。
朝からご機嫌な櫻井先生。(なぜなら列車に乗っているから)
朝食を運んでくれたイケメン乗務員。
緑豊かな自然の中に点在する家は、国ごとに特色がある。
列車の旅をしていても締め切りは毎日やってくる。
女子鉄アナウンサーともみんとMr.ユーレイルパス鹿野氏。
「きれいな景色ですねえ」なんて通路で話していたら
「おっはよー!」
と、どこかの車両からやけに明るい男性が入ってきた。ロンドン在住の欧州乗り鉄、橋爪氏の登場である。鉄道オタクたちは国境を越えて固い絆で連結されている。橋爪氏は、もちろん全員と顔見知りのようだった。鉄道のことなら、車両に使われているネジの種類までよく知っているという筋金入りの鉄道ラバーの参加によって、一行の鉄分はさらに強まった。
5月26日 午前11時
2時間遅れの夜行列車からウィーンで降りて、荷物をひっつかんで階段を上り下りしながら乗り換えホームへダッシュ。ショプロンに向かう列車に飛び乗ろうとしたが、到着するはずの列車が来ない。
「今日は休日ダイヤみたいですね」
とMr.ユーレイル、鹿野氏が言う。
なんとウィーンは祝日だったのだ。
列車の旅のヒント:各国の祝日をあらかじめ確認しよう。
列車の旅のヒント:駅によっては、エスカレーターもエレベーターもないことを覚えておこう。とくにイタリアの小さな駅には、ほとんどない。両手でもって階段を上り下りできるくらいの荷物と歩きやすい靴を履いていないと乗り換えが大変だ。
列車が遅れようと、ルートが変わろうと、車窓に目をくれず淡々と刺繍を続けるユーレイルのPR担当 中川さん。
ウィーンの駅は、自転車の人がやたらと多い。自転車のまま電車に乗り込んで行く。年齢層は様々でアラフィフ以上の女性たちも日焼けした顔と引き締まった筋肉を誇るように薄手のサイクリングウエアで談笑していた。
RE7127 たった一両の可愛い電車だった。
そのうち、こんな一両編成のチビ列車が到着。本来なら9:17に到着予定だったハンガリーのショプロンに到着したのは12:17のことだった。
ショプロンの滞在もこの日限り。また超高速観光が始まった。しかし、私は元ツアコン。超高速観光のプロなのだ。
いよいよ超高速観光1ヵ所目、エストルハーゼ伯爵城へGO!
エストルハーゼ伯爵城超高速観光
まずは、1762年から1790年にかけて建てられたエストルハーゼ伯爵の城へ。中央ヨーロッパで唯一銀製の家具をもち、富と権勢を誇った伯爵の城は、128の部屋があり、そのうちの10室をホテルとして開放している。ハイドンは伯爵家のお抱え音楽家として、1761年から1790年までの29年間、この城に暮らしていたという。1894年にマリア・テレジアが宿泊したという部屋もあった。ロシア軍がすべての財産を没収してしまったため、一時は空っぽになってしまったが、現当主のエステルハージ・アントン・ルドルフ氏が世界中から買い戻しているという。
世界でここにしかない純銀製の家具。
お城の一部はホテルになっている。結婚式も挙げられるそうだ。
さ、次だ。10日間爆走5000キロの旅にのんびり観光しているゆとりはない。
超高速観光2カ所目はハンガリーで一番小さなワイナリー。
ハンガリーで一番小さなワイナリー「ルカ」
ハンガリーは、ワインの名産地であり、旧市街にはワイン酒場がいくつもある。100mmが数十円と格安で飲める。私たちは、数あるワインメーカーの中から、たった3ヘクタールの畑でワイン作りをしているハンガリーで一番小さなワイナリー「ルカ」を訪れた。
ワイナリーの看板。ちなみにハンガリーの公用語はマジャール語。ロシア語、中国語、アラビア語と並んで世界4大難しい言語のひとつ。
ハンガリーで一番小さなワイナリー「ルカ」
オーナーのルカ・エニクーさんは、14年前に父親が他界したあと、ワイナリーを継いだ。当時はワインのことをなにも知らなかったため、オーストリアから専門家を呼んで、ワイン作りを一から学んだという。2004年には、ボルドーワインコンクールで金賞を受賞、現在では、フォーシーズンズホテルやブダペストの星付きレストラン「Onyx(オニックス)」や有名日本食レストラン「Nobu」にも卸しているという。
美人オーナー、ルカ・エニクーさん。
夫婦ふたりで作るワインは赤ワイン6種類とロゼ、年間1万本。しかし、天候によっては3000本しか作れない年もあるという。ロゼのラベルには、自転車に乗った息子さんが描かれている。
ハンガリーではワインとラード付きのパンを食べる。ラードもパンも全部自家製。
ワインと合わせるために作られたチョコレート。エクアドル産のカカオ65%。
カルダモンとサワーチェリーが入っている。まずチョコレートを半分、ゆっくりと舌の上で味わってからCuvee 2014 (赤ワイン)をひとくち。美味し過ぎて無限に食べられそうだった。
日本有数の鉄ジャーナリストと私とワイン。
最後は中世の佇まいを残したショプロンの旧市街へ。
ショプロンの旧市街も見よう
ショプロンの旧市街は、とても小さい。わずか300 x 500メートルの楕円形の土地に、中世の佇まいを残した街並みが残っている。火の見の塔に登り、街を見たあと、私たちは吸い込まれように地元の酒場に入り、さんざん飲んだり食べたりしたのであった。
ショプロンの旧市街
旧市街を一望できる『火の見の塔』
火の見の塔から見た旧市街。
ともみん、こと女子鉄アナウンサー久野知美ちゃんとパチリ。
ともみんは、この頃から「姫」と呼ばれるようになった。
吸い込まれた酒場の看板。なんて書いてあるか、まったくわからない。店名のGyogygodorは「健康の穴倉」という意味らしい。
店内はこんな感じ。
ハンガリーは揚げ物が多い。ご飯が進んで危険だった。
ショプロンの地ビール。
ビールとワインとミネラルウォーター、サラダとメインデッシュを食べてたったの5ユーロ。ハンガリーは食費が安い。
私たちは食事を楽しみ、列車の話をして大いに盛り上がった。
この時点で、明朝橋爪氏に恐ろしいことが起こるなど、だれひとり予想もしていなかった。
次回は、ショプロンからプラハ経由でマリアンエスケー・ラーズニェへ向かう。
取材協力 ユーレイルグループGIE