これまでの旅。
*移動距離の前にある RE2312 という番号は列車の番号。
チヴィタ・ディ・バニョレッジョ~オルビエート バス
オルビエート〜フィレンツェ RE2312 191km
フィレンツェ〜ヴェネツィア FA9438 243km
ヴェネツィア〜トリエステ FB9737 148km
1日の移動距離 582km 累計 733km
トリエステ〜ピラン(鉄道が通っていない) バス
ピラン~トリエステ バス
トリエステ~ウーディネ ICN770 83km
ウーディネ〜ウィーン EN236 642km
ウィーン〜ウイナーノイシュタット RJ 49km
ウィナーノイシュタット〜ショプロン R 33km
1日の移動距離 803km 累計2122 km
ショプロン〜ウィナーノイシュタット〜ウィーン〜ブジェツラフ〜プラハ RJ72 517 km
プラハ~マリアンスケ・ラズーニェ R758 190km
1日の移動距離 707km 累計2829km
今回はここから⇩
マリアンスケ・ラズーニェ〜ヘプ R 30km
ヘプ〜プラウエン〜ヴェルダウ VBG20976 73km
ヴェルダウ〜ライプツィッヒ S5X 76km
ライプツィッヒ〜ベルリン ICE1584 167km
ベルリン〜マグデスプラング RE18110 142km
マグデスプラング〜クヴェトリンブルク HEX80140 77km
クヴェトリンブルク ~マグデスプラング HSB8957 18km
マグデスプラング〜クヴェトリンブルク HSB8957 18km
今回の移動距離 565km 累計 3430 km
<前回からの続き>
いよいよ鉄道トライアスロンの旅もいよいよ残す所、あと2都市を巡るのみとなった。今回の目的地は、ドイツは「魔女伝説」で有名なクヴェトリンブルク。
マリアンスケ・ラズーニェを離れる前に、ボヘミニアム公園に立ち寄った。
広大な庭園に世界の名所旧跡がミニサイズで展示されている。栃木県日光市にある東武ワールドスクエアと似ている。
庭園に点在するミニサイズのお城。
なぜ、世界有数の鉄道ジャーナリストたちが、この公園に来たのかといえば、鉄道模型があるからに決まっている。
実際に線路の上をぐるぐる走っている。
ほかの模型には目もくれず、鉄道模型の撮影大会が始まった。
先生方に教えを乞いつつ、私も激写。鉄道の撮影は大きさにかかわらず難しい。
「あ、あそこにも乗り物がっ」と女子鉄アナウンサー、久野知美(通称ともみん)が駆け寄ったケーブルカー。
もちろん乗り込む。
鉄道模型で遊んだあと、マリアンスケ・ラズーニェ駅15時09分発のチェコ国鉄のローカル線OS7345でチェコ最古の街ヘプへ。
チェコ最古の町、ヘプ到着。
各駅停車の列車の窓から見える小さくて素朴な駅は、時にまるで絵画を見るようだ。
ヘプからVBG20975に乗り換えてヴェルダウ(ドイツ)へ。ヴェルダウからさらにS5Xに乗り、食べ物がたくさんあるライプツィヒへ到着した 。
ライプツィヒではあるものに感動!
<飢えた旅人は、ライプツィヒに寄るべし>
ライプツィヒの駅では感動の嵐だった。ドイツ名物の各種ソーセージはもちろんのこと、鮨や鳥の照り焼き弁当からパスタ、中華まで各種の食べ物屋さんが揃っているだけではなく、ファーストファッションのブティックも軒を揃えている。Wifi も通じれば、表示もわかりやすく、これまでの駅と確実に一線を画している。東京で言えば品川駅に似ている。
リニューアルされた駅舎は天井が高くガラス貼りで美しく、久しぶりに文明社会に帰ってきた感があった。
鉄ジャーナリストたちとヨーロッパを疾走する鉄道トライアスロンの旅は、時に食べる暇がない。食べられる時に食べておけ、とばかり、私たちは食べ物を買い込んだ。しかし、ハンガリーとチェコの物価の安さに慣れた目に、ドイツ値段は突き刺さるように痛かった。食べて飲んで500円の世界から、ビール一杯500円の世界に・・・。一晩で高騰した物価に辟易しながらも、快適な一等車の旅でベルリンへ。ここで一泊。
翌早朝、再び列車に乗り、JATAの選んだ『ヨーロッパの美しい街30』に選ばれたクヴェトリンブルクを目指す。クヴェトリンブルクは、毎年4月30日に世界中から魔女が集まって集会をすることで有名な村である。魔の山ブロッケン山もある。ブロッケン山は1年のうち約260日は霧が立ち込め、そのうち100日は1日中霧に覆われている。かつてブロッケン山中では怪現象が次々と起こっていた。人や物の周りに光の輪が現れ、巨大な魔物のように見えるのである。村人たちは、ブロッケンの妖怪の仕業と恐れおののいた。
現在でも時おりブロッケンの妖怪は現れる。ただし、科学者たちが、「それは、光と霧によるものですなんですよね」とつまらないことを言い出し“ブロッケン現象”と名付けたことから、妖怪たちは窓際族になってしまった。
とはいえ、クヴェトリンブルクは美しく趣のある町で、窓際で小さくなっている妖怪たちを慰めるためにも、多くの人に訪れてほしい町なのである。
クヴェトリンブルクへ行く車中もユーレイルPRの中川さんは、相変わらず刺繍に打ち込む日々を送っていた。鉄道トライアスロンの苦難を何年も共にしている世界に名だたる鉄道写真家である櫻井寛先生とは、落ち着いた夫婦のような雰囲気を醸し出し始めていた。
クヴェトリンブルク駅到着。駅も木組み
クヴェトリンブルクに来たよ。このスニーカーは2年間にわたって海外約80都市を旅してきた相棒である。
いよいよ「魔女伝説」で有名なクヴェトリンブルクへ。
<世界遺産の町 木組みの家が美しいクヴェトリンブルク>
約1300棟あるロマネスク様式の美しい木組みの建物が立ち並ぶ旧市街は、1994年にユネスコの世界遺産に指定された。ほかにも、ドイツの初代国王ハインリヒ1世の元居城(現セルヴァティウス教会)や“アンティークの鉄道模型で有名なおもちゃ屋”がある。では、しばしクヴェトリンブルクの町を散策しよう。
世界遺産、聖セルヴァティウス教会
ハインリヒ初代国王が眠っていた墓所。国王の遺体はすでにない。
街角のための花束。
町の中心マルクト広場。
町のあちこちにいるおもちゃの衛兵。あまりやる気がない。
スティールパンを弾いていたストリートミュージシャン。カリブ海で産まれた楽器、スティールパンの音色がヨーロッパの古い街によく似合っていた。実際の音はブログ「世界1000都市ものがたり」に掲載。
1310年に建てられた最古の木組みの家。
左の家は15世紀、右の家は16世紀に建てられたもの。
出た!鉄道おもちゃミュージアム。
アンティークの鉄道模型がいっぱい。
ミュージアムの一角にあるおもちゃの修理工房。
おもちゃミュージアムに飽きてきて、外で待つことに。右からMr.ユーレイル鹿野さん、ユーレイルPRの中川さん、そしてトモミンから伝授されたダブルピースがさまになってきた私。鉄道ジャーナリストたちは、2時間ほどミュージアムで夢中になって遊んでいた。
もちろん本物の鉄道にも撮影&乗車。
<魔の山、ブロッケン山をゆく蒸気機関車に乗る>
クヴェトリンブルクに来たら、(鉄オタとしては)ヴェルニゲローデ、ノルトハウゼンの3つの町を結ぶハルツ狭軌鉄道の蒸気機関車に乗らない手はない。
1887年に生まれたこの路線は、もともとブロッケン山の山頂にあるソ連軍の基地へ行くための鉄道だった。その後、アメリカ・イギリス・ソ連・フランスの四カ国によって分割統治された後も、1961年にベルリンの壁ができるまで運行していた。89年にベルリンの壁が崩壊した後、99型の小型蒸気機関車が発見され、「こんな素晴らしい機関車が見つかったんだから、やっぱり運行しようよ」ということになったらしい。
⇒”欧州乗り鉄”橋爪先生によると「冷戦中は旧東ドイツ国鉄がこの路線の運営をしていたが、東西ドイツ統一後の1993年に、民間企業であるハルツ狭軌鉄道(HSB)によって再出発となった」のだそうだ。
まずクヴェトリンブルクからディーゼル車に乗り、森の無人駅へ向かった。鉄道オタクは、鉄道に乗るために、鉄道をたくさん乗り継いで、遥か異国の地を延々と旅するのである。
ハルツ狭軌鉄道のミニディーゼル車。
森の中の無人駅。シュテルハウス・ランベルグ駅。
ここでいったん列車を降り、蒸気機関車を待っている間に、櫻井寛先生から鉄道写真ミニ講習を受けた。
その1)場所取りをする。先に来て、場所を取っている人が優先なので、その人の撮影に邪魔にならない場所に決める。
その2)場所が決まったら動かない。なぜなら、少しでも動くと、ほかの人の撮影の邪魔になるからである。(絶好のポイントには多くの撮り鉄がいる)
その3)いつ列車が来てもいいように撮影の準備をする。
その4)待っている間に尿意を催してもベストショットを撮影するためには、その場所を動いてはならない。(つまり、その場で用を足すくらいの覚悟がなくては鉄道写真家にはなれない)
鉄道写真家への道は険しい。
私たちを降ろし、去りゆくディーゼル車をまず激写。
そうこうしているうちに蒸気機関車登場。嵐のようにシャッター音が響く。
櫻井先生の教えに従って必死に撮影する私たち。ベテラン達は足腰がキマっている。
今回のチームの中でもっとも寡黙だった戸部氏は、鉄道への愛と情熱を大きな目に宿し、蒸気機関車が見えなくなるまで黙々と撮影を続けた。
満足のいく写真が撮れてハッピーな私たち。
次に来た蒸気機関車に乗ってクヴェトリンブルクへ戻る車中も必死に撮影を続ける私たち。(乗り出して撮影中のブルーのシャツの男性は欧州乗り鉄の橋爪氏)
クヴェトリンブルクの町を観光し、蒸気機関車にも乗って、すっかり疲れた私たちは、クヴェトリンブルクに一泊。かと思ったら、それは大間違いだった。「クヴェトリンブルク に戻った5分後には、別の列車に乗り、最後の目的地ヒンデローペンを目指します」
と今回のツアコンである中川さんが宣言したのである。
次回は感動の最終回。オランダへ。
取材協力
チェコ観光局 https://www.czechtourism.com/jp/home/
チェコ国鉄 https://www.cd.cz/en/default.htm
ドイツ観光局 http://www.germany.travel/jp/index.html
ブログ「世界1000都市ものがたり」
https://ameblo.jp/surprise-enterprise/entry-12346265421.html