今年1月に直木賞を受賞した門井慶喜さんの『銀河鉄道の父』。
詩人として童話作家として天賦の才を見せながら、37歳で亡くなった宮沢賢治の悩み多き人生を父の視点で描いて新鮮でしたが、今回ご紹介したいのは同じく門井さんの『ゆけ、おりょう』。この小説も、主人公は実在した有名な人物の家族です。
それは、武士の妻としては型破りだったと言われる、坂本龍馬の妻・おりょう。
幕末の志士・坂本龍馬はいろいろな小説で描かれているし、ドラマにもよく登場するので、おりょうについてもある程度ご存知の方が多いかもしれません。
例えば、京都の船宿・寺田屋で伏見奉行所の捕吏に襲われた龍馬が難を逃れたのは、仲居のおりょうの機転のおかげだったとか。
龍馬とおりょうの薩摩行きが、日本初のハネムーンだったとか。
ふたつとも「おりょうって魅力的な女性だったのでは」という気がしてくるエピソードですが、作者の門井さんはそれらの史実をもとに思い切り想像の翼を広げ、生き生きとしたおりょう像を作り上げています。
大酒飲みで、自立心と負けん気が強くて、家族思いの、たくましいおりょう像を。
さて、そんなおりょうと龍馬がどのようにして出会い、夫婦になり、絆を深めていったのか?
そこが小説の主軸ですが、一方で複雑な幕末の流れ――幕府や薩摩や長州にどんな思惑があり、偶然や必然があって時代が動いたのかなど――が龍馬やおりょうの言葉としてわかりやすく書かれているので、読みながら「あ、そういうことだったのね」とたびたび思いました。
高校時代、日本史の幕末のところで頭がこんがらがった自分に説明してあげたい!
ところでこのふたり、最初から好意を寄せあっていたわけではありません。むしろ最初は龍馬の片思い(飄々とした男なので、告白もどこか冗談めいていましたが)。ふたりの関係が変わったのは、蛤御門の変にともなう洛中の大火災がきっかけでした。
医者の父が亡くなったあと、一家の家長的存在だったおりょうですが、自分も家族も働き先を火災で無くし、失意のどん底に。
気を張りっぱなしだった彼女は、偶然龍馬と再会すると(やっぱり、男の人を、頼りたい)と一瞬思います。
なのに龍馬は、ある理由からおりょう以上に心が弱っていたのです。
(あきれた)
おりょうは、すうっと心がさめるのを感じた。
胸のなかで切れた糸も、ふたたび張りを取りもどしている。いつしか洟をすする音を立てはじめた龍馬を見おろしつつ、おりょうは、一瞬前まで想像もしていなかったことを口走った。
「ほんにまあ。坂本龍馬は、だめな男ぞえ」
「言え。もっと言え」
「夫婦になりまひょ」
「え?」
女性はどんなときに男性に愛情を感じるのか?
次のページに続きます。
いろいろなケースがあると思いますが、この引用からおわかりのように、おりょうの場合は姉御肌的愛情だったよう。
龍馬への「子供っぽい人」「世話の焼ける弟」という印象が(これほど、愛しい人はおらん)という気持ちへつながっていったのです。
夫婦になったといえ、龍馬とおりょうにゆっくり過ごす時間はありませんでした。
龍馬は自分の未来を、そして日本の未来を変えるために、各地を駆け回る日々。一方おりょうは、龍馬が京都に帰ってくるといつも打ち明け話を聞いていたこと、当時過激派のアジトとなっていた民家と知り合いだったことなどから、自然と「機密情報の宝庫」になっていきます。
だとしても、おりょうがおとなしい女・口が堅い女だったら問題はなかった。
でも彼女は龍馬をして「頭に口があるような」と感嘆せしめたほどのしゃべり手。気の強さもあって、たびたび龍馬の同志をひやひやさせるような言動に出ます。おりょうとしては、夫を思う気持ちの自然な発露だったりしたのですが……。
このあたり、空気を読まずに堂々と意見を述べるおりょうが痛快!
彼女と一緒に、頭の中が思惑だらけの男たちに啖呵を切っているような気分になりました。
物語の中盤で、おりょうは寺田屋で襲われ傷を負った龍馬ととともに、湯治の名目で薩摩に滞在(これが日本初のハネムーン)。
その後龍馬は、長州征伐(幕長戦争)での長州藩の勝利や大政奉還の準備に貢献するなど、精力的に動いて名を上げていきます。
それなのに、彼に対するおりょうの気持ちは意外にも複雑なものになっていき……。
夫が世間から賞賛されれば喜びそうなものなのに、なぜおりょうはそうならなかったのか?
そしてそれからすぐ、あまりにも突然に龍馬を失ったあと、彼女は亡くなるまでの40年近くをどんなふうに生きたのか?
読み終わって感じたのは、よく泣きよく笑う龍馬にとっておりょうは、揺れ動く気持ちを支える柱だったのかも、ということでした。
同時に、おりょうと久しぶりに会うと「こんなことがあった!」とよくしゃべり、離れているときはマメに手紙をよこす龍馬ってカワイイ男、と思えてきて。
龍馬と一緒に幕末の最前線を駆け抜けたおりょうは、自分では気づいていなかったかもしれませんが、かなり愉快だったのではないでしょうか。
龍馬のことを「旦那様」と呼ばす、最後まで「坂本はん」と呼び続けた彼女は、今の私たちに近い感覚の持ち主だった気がしてなりませんでした。