多分、本好きの人のほとんどが好むと思われるのがミステリー。
私も特に詳しいというわけではありませんが、夢中にさせられるという意味で、ものすごく恩恵を被ってきました。
ミステリーは人気のジャンルだけに、推理を働かせる主人公も多種多彩。職業はもちろん性格も、天才肌から地味めまでさまざまです。
つまり、うれしい悲鳴をあげたくなるほど選択肢が多いわけですが、いま私が気に入っているのが女探偵・葉村晶(はむらあきら)のシリーズ。
彼女はタイプで言えば間違いなく地味だけど、仕事ができてとてもタフ。ただ、なぜか不運すぎるという、残念なおまけ付きです。
これまで葉村が主人公の本は6冊刊行されていましたが(すべて文庫化)、最新刊『錆びた滑車』が8月に文庫書き下ろしで登場。
「単行本→文庫という過程を待たずにいきなり文庫で読める!」と、内心ガッツポーズでした。
さて、『錆びた滑車』の話を始める前に葉村晶のプロフィールを紹介すると、性別は女性、年齢は40代半ば。
吉祥寺の住宅街にあるミステリ専門書店のアルバイト店員で、この書店の二階を事務所にしている探偵社の調査員でもあります。
以前フリーの調査員として探偵事務所で働いていた関係で、昔から付き合いのある大手調査会社(そこの管理職で、葉村に負い目を感じている男性・桜井)からの下請け仕事も引き受けていますが、彼女の言葉を借りれば
「……更年期に片足突っ込んだ四十代半ばの女が、喜びのあまり踊り出したくなるような仕事はまず、ない」
というのが現状です。
そんな葉村が『錆びた滑車』の中で最初に受けた依頼も、桜井からの下請け仕事。都庁に勤める公務員からの「別に暮らしている74歳の資産家の母親(石和梅子)の行動が以前と違うので、確認してほしい」というものでした。
「(葉村がさんざんな目に遭った)こないだの件も、この安直で楽チンなお仕事で帳消しになるんじゃないかなあ」と桜井に言われて引き受けますが、このシリーズの愛読者としては「絶対安直で楽チンじゃないよね」と確信。
案の定葉村は、梅子の尾行をきっかけに彼女とその友人・青沼ミツエの喧嘩に巻き込まれ、いろいろあってミツエが所有する古いアパートに住むことになり、ミツエの孫・ヒロトとも知り合います。
ここからがこのミステリーのキモの部分。
ヒロトは交通事故で父の光貴を亡くしたうえ自らも重傷を負い、記憶を一部失っただけでなくスマホも壊れたため、なぜ自分と父親が事故現場にいたのかがわからない。
それを葉村に調べてほしいと依頼しますが、22年前光貴に暴行と恐喝の逮捕歴があったこと、恐喝された(と思われる)男がヒロトの母親と逃げたらしいことなど、伏線のような話がいくつも提示されていきます。
さらに、ヒロトがリハビリ中の病院と、光貴が店長をしていた異国風レストランの周辺に、麻薬性鎮痛剤の闇市場が存在している疑いが発覚。そこには警察も介入していて、物語はがぜん広がりと複雑さを増していきます。
そしてこの事件を担当する警視庁の警部が、葉村を脅迫して利用したことがある当麻。
彼がカッコよければ(カッコよくなくても好ましさを感じさせる男だったら)ラブが芽生えそうなところですが、「……少し腹の出た中肉中背の体を中の上程度のスーツに包み、よく見るとトトロというテキスタイルのネクタイをしていた」のだから、推して知るべしです。
ヒロト親子の謎と麻薬性鎮痛剤の闇市場疑惑。このふたつに関係があるのか、それらがどう解明されていくのかは読んでいただくとして、力説したいのは伏線回収の見事さ。
謎の本筋にかかわることだけでなく、さほど関係のないエピソードも驚きのつながりを見せ、読後気持ちいいほど“パズルがピタリとはまった感”が!
「作者の頭の中はどうなっているの?」と感嘆してしまうくらい、見事な構成です。
加えてユニークなのが、本書に限らずシリーズを通して“主人公に色恋沙汰がない”ということ。というか、“葉村と周囲の人間との関係がものすごくさっぱりしている”ということ。彼女が嫌われている、という意味では決してありません。むしろ周囲からはとても信頼され、好感すら持たれています。
でも、葉村自身が周囲とある一定の距離を保つことを好み、孤独や貧乏をぼやきながらも受け入れている。
四十代半ばといえば、自分の先々を考えてじたばたしかねない年齢ですが、彼女は徹底して客観的かつクール。
だから「私はひとりぼっち……」などと自己憐憫に陥ることなく、仕事ができる人間の性(さが)として目の前の事件に一生懸命になるわけですが、どういうわけか不運すぎる。そしてしょっちゅうケガをする。失くしものもする。
そんなあれやこれやを意地でもリカバーしようとする彼女が、だんだん“頼りがいがあるけどちょっと心配な友人”に思えてきて……。つまり、親近感がわいてくるのです。
そんな葉村の人間像は、以下のユーモラスでニヒルな言葉からも伝わってくるのではないでしょうか。
「(ハナエという女性の)細い眉はアートメイク、いわゆる刺青で、ゾウを飲み込んだウワバミの背中のような形だった。彼女はその眉のせいで、あらゆることに驚いているような顔つきになっていた。」
「飛べなくてもブタはブタだが、歩けない探偵は探偵ではいられない。」
葉村晶シリーズでは他に、『静かな炎天』『さよならの手口』(どちらも文春文庫)もオススメです。
なんだか疲れてしまったとき、めげそうになったとき、私は葉村のことをときどき思い出します。
すると「とりあえずできるだけのことをやったら先が見えるかも」とちょっとだけ開き直れるのです。
こんなふうに書くと彼女に「私はそんなつもりで探偵やってないけど?」とあっさり言われそうですが。