前回最後に、「「ウェブ・エリス」って誰やねん?と思っている方もおられることでしょう。次回は、ウィリアム・ウェブ・エリスと、ラグビーの歴史について書きますねー!」と書き散らかしたまま、時間が経ってしまいました。全世界で15人くらいのこの連載を楽しみにしてくださっていた皆さま、遅くなってごめんなさーい!釜石や花園で、日本代表の勝利した試合の余韻に浸りすぎていました、反省。
さて、今回はラグビーワールドカップ優勝杯「ウィリアム・ウェブ・エリス」さんについてのお話。先日、某市で講演をしたとき、先立ってご挨拶をされた市長が「ラグビーはその昔、サッカーの試合中にサッカーボールを持って走ったエリス少年が起源で…」と話されたのです。多くの人はこの話を信じているのですが、これ本当は間違いなんですよ。
1823年に、イギリスの名門パブリックスクールのラグビー校に、ウィリアム・ウェブ・エリスという生徒が存在していたのは確かです。が、しかし、この当時はまだ、「サッカー」も世界には存在していなかったんですよ。その後、サッカーとラグビーに派生する「フットボール」をラグビー校独自のルールでやっていたというのがまず史実。
このエリス少年がボールを持って走った、という説が出てくるのはそれから57年後の1880年に、ある人がラグビー校の校友誌に書いた「エリス、走る」という文章なのですが、この人も目撃したわけではないんですよね。ラグビー校の同窓会も本格的にエリス伝説について「ホンマか?」と調査をしたことがあるんですが、確証は得られなかったみたいです。それでも、都市伝説のようにエリス伝説は定着していくんです。そういう「ストーリー」は、あったほうがロマンがあるからでしょうか、いまではラグビー校の校庭に「あっぱれなルール破り」とエリスさんをたたえた石碑があるんですよ。
あ、ちなみにエリスさんは、その後、オックスフォード大に進んで聖職の道にはいり、南フランスで病死されているようです。
エリスさんが、死後に自分の名前が冠された杯(カップ)が世に出てくることは想定外だし、あの世でビックリしていることと思います。いまでは世界で三大スポーツの祭典の一つになったラグビー、(ほかの二つは、オリンピックとサッカーワールドカップ)ですが、ラグビーにはとても素晴らしい哲学があるんですよ。それはまた次回!早く書きます(笑)
イラスト/村上テツヤ