小さい頃、私が楽しみにしていた行事は、“田舎のおじいちゃん・おばあちゃんちに行くこと”でした。かつて祖父母は大阪で暮らしていたそうですが、何らかの事情で故郷に帰り、田畑を耕すことになったようです。
年に3、4回くらいだったでしょうか。夏休みはもちろん、近所が総出でとりかかる茶摘みや餅つきのときも行って、大人たちの話の輪に図々しく入っていった記憶があります。きっとおしゃまな子だったんだろうな……(苦笑)
おじいちゃん子だったので、特別なことがない日は、とにかくあとをついて回りました。さわさわと鳴る竹林、夏でもひんやりしていた川、あぜ道のあざやかな彼岸花。当時普通だと思っていた風景は、今や大切な思い出となって、心のアルバムの一等席に保管してあります。
おじいちゃんのあとを歩きながらよく見かけたのが、道ばたのお地蔵さまでした。いつもきれいなお花が供えられ、よだれかけが新しいものに変わっていたりするのに、誰がやっているのか目撃した経験は皆無。だから何だか不思議な気がして、「もしかしたら、お地蔵さまのお世話をするときは人に見られちゃいけないのかな」なんて思っていました。
『お地蔵さまのことば』のページをめくりながらよみがえってきたのは、あの頃の農村の雰囲気でした。幼かったので、大人たちの事情はわからなかったけれど、集落で助け合ったり分かち合あったりする空気は感じていました。厳しい気候の場所ではなかったけれど、自然を相手にした暮らしとなれば、そうなるのが当たり前だったのでしょう。
そして、その共同体の端っこにちょこんと座っていたのがお地蔵さま――みんなが祈っていたのが豊作なのか、家内安全なのかわかりませんが――何だかそう思えてきました。
私が覚えているお地蔵さまは、口元に微笑みをたたえた穏やかな顔ですが、この本には実に多彩な表情のものが紹介されていて、「こんなお地蔵さまもいるの!?」と驚いてしまいます。
口がややへの字になった“困り顔”もあれば、歯を出して爆笑したものもある。鼻の穴に指を突っ込んでいる(!)ものもあれば、口を大きく開けて嘆いているものもある。お化粧したものもあれば、アフロヘアのものもあります。なんとまあ人間くさいお地蔵さまたち! 「日々の暮らしから出てきた厄介な感情を、なだめたりすかしたりするために作られたのかな」なんて、つい考えてしまいます。
ちなみに、狛犬もお猫さまもお地蔵さまの仲間です。
そんなお地蔵さまたちの写真に添えられたのは、寺と神社の旅研究家であり、OurAgeでもおでかけマイスター〈寺社〉連載を持つ、吉田さらささんが「表情豊かなこの石仏(多くの場合お地蔵さま)はこんなことを言いたいんじゃないか」と想像して書き留めたことば。
「心の毒は丸めて捨てよう」「笑顔と化粧は、女の一生の武器」「忘れるって、すてきなこと」「歳月を魅力に変える」「泥の中にこそ鉱脈がある」など、どれも「なるほど、そうかも!」と思うものばかりです。
長い年月、ひとつの場所にたたずんでいるお地蔵さまだけにことばに説得力が感じられて、「直接会いに行きたい! そうすればもっといろんなことを話してくれるのでは」と、旅ごころまでかきたてられます。
この本は読み終わっても本棚にしまうのではなく、リビングに置いておくのがいいのではないでしょうか。そしてあなたの気持ちが何らかの理由で“お疲れモード”に入ったとき、無心に眺めてみる――すると、その時必要なことばが自然に見つかって、胸にしみこんでくるような気がします。
最近購入した、もうひとつの写真集がこれ。
「申し訳ありませんが、家の中のものを全部、家の前に出して写真を撮らせて下さい」という求めに応じてくれた、クェート、アメリカ、インド、グアテマラなどの人たち。高級車を4台も持つ家族もあれば、毎日40分かけて水くみにいく家族も。「豊かさとは、満ち足りるとは」と考えさせられる。1994年に刊行された、ロングセラー。