そろそろ夏休みのプランを練る時期ですね。最近は混雑を避けて、時期をずらして休暇をとる傾向もあるので、もしかしたら「今、リゾートにいます!」という方もいらっしゃるかも?
私は“海外欲”があまりないこともあり、たいてい近場で過ごしますが、ここ数年恒例になっているのが、富士山が目の前に見える湖畔の温泉でまったりすること。天気によっては肝心の富士山が見えないこともありますが、それはそれとして楽しめるように、少し多めに本を持って行くことにしています。
となると、大事になるのが本のチョイス。ちょっと長めのミステリーや旅エッセイを持って行くことが多いけれど、去年は仕事の必要があって、タブレットで槙村さとるさんの漫画を読みまくりました。こういうとき、電子書籍って便利ですね。
さて今年ですが、どこに行くかはまだ決めていないけれど、持って行く本はだいたい決まっています。
それは、作家の小川洋子さんとエッセイストの平松洋子さんの対話集『洋子さんの本棚』で紹介されていた本たち。おふたりの本を巡る話の深さと熱さに刺激されて、「あれもこれも読みたい!」と、少しずつ読破している最中なのです。
『洋子さんの本棚』は、いい意味でちょっと不思議な雰囲気をまとった本です。
形式としては、それぞれが出会ったかけがえのない本を紹介しあい、事前にそれらを読んだ上で語り合うというもの。でも話は本だけにとどまらず、おふたりが自然と自分の人生について語ることになっているのです。
肝心なのは「自然と」という点。小川さんも平松さんも最初から自分の私的な部分を話そうとしていたわけではないし、相手のそこに踏み込もうとしていたわけでもない。
でも、人生のある時期――特に少女から大人になる時期に出会い、背中を押してくれた本について話していると、話題はいつの間にか個人的な領域に及んでいくのです
その自然さというか、好奇心ではない感じがとても心地いい。同時に、小川洋子さんと平松洋子さんという独自の世界を持った書き手の(凛としている、という共通した印象はありますが)、鍵となる部分を見つけた気分になります。
私はいつも「ここは大事」と思った箇所に付箋を貼りながら読むのですが、この本は付箋だらけになるくらい、心に響く箇所がたくさんありました。
個人的に「これって私のこと?」とドキッとするくらい共感したところも多々あって……その最たるものが小川さんが第二章で語ったこの部分。
「私も一生懸命、二十何年子どもを育てたのに、残った感触って『やれやれ、無事に巣立ってくれた』という達成感とか喜びではなく、『もう取り返しがつかないんだ』という手遅れ感でしたから」
「……でもそれは息子に対する手遅れ感ではなくて、息子がちひろちゃん(増井和子『パリから 娘とわたしの時間』に出てくる著者の娘)ぐらいだった頃はこんなに豊かな時間が詰まっていたはずなのに、自分はそれに気づいていなかったという、自分に対する後悔、手遅れ感です」
実はこれ、まさに私が痛感したことだったので(苦笑)、深くうなづくと同時に「あの小川さんもそんな感情をお持ちだったんだ」とかなり驚きました。
また平松さんはそれに同意しつつ、ある結論を導かれていて……。おふたりの気持ちが共鳴しあった結果、人生を考えるひとつのヒントにたどりついているので、ぜひここは実際に読んで、意図するところを感じ取っていただきたい!
いろいろな経験を積んだOurAge世代なら、どんな生きかたをしてきた方でもきっと、涙ぐむほど理解できると思います。
さて、この対話集を読んで思い出したのが、原田ひ香さんの小説『母親ウエスタン』。いろいろな土地をさすらいながら、母親がいない家庭にするりと入り込んで“きちんと”その機能を果たし、一定の成果が見えると姿を消す広美という女性が主人公です。
と書くとカッコイイけれど、彼女は過去の記憶をあまり持たず、執着という感情がほとんどないのです。
逆に彼女に去られた家族は、広美に対していい思い出しかない分、いつまでも彼女に執着したり、過去の行いを後悔したり。
つまり、広美には母親の自覚がないけれど、広美が入り込んだ家族は彼女を母親視していたので、いびつな疑似親子関係になっていたのです。
人には母親(もしくは母親的な存在)が必要な時期があるし、その役割は多岐にわたるけれど、それって“きちんと”やればうまくいくというものではないのかもしれません。
“きちんと”の中にも価値観によっていろいろなやり方がある分、10年、20年となるとその人らしさが色濃くなるし、子どもの受け止め方もさまざま。だから数限りない齟齬が生まれるし、やりきれない感情だって出てくる。キレイごとでは済まないというか、母と子の関係がキレイごとで済むのがむしろ不自然なんじゃないかな……。
母親というものに触れたこの2冊を読んで、「母親ってどこか抜けているぐらいでちょうどいいんだ」と、何だかほっとした私でした。