なぜかときどき見る夢が、私には2種類あります。
ひとつは、自分の凡ミスで飛行機に乗り遅れる夢。「あー、やっちゃった……」と呆然としたところでだいたい目が覚めて、ほっとひと息。
もうひとつは、朝学校や職場に行くといつもと雰囲気が違っている、というか、どことなくイヤなムードになっているという夢。
実際にもそういう経験って、かなりの方にあるかと思いますが、親しい友人に「ねえ、何かあった?」と訊いて対処するのが常。
でも何しろ夢なので、なぜか訊いちゃいけないことになっている! 自分が何かやらかしたかのか、それとも予想しえないことが起きたのかと焦りまくり、布団の中で足が震えていたことも(笑)。
私にとっては、とてもとてもこわい夢。「あの夢のどこがこわいんだろう?」と考えてみたのですが、結論は「雰囲気が変わった理由がわからないから」でした。
発端も経過もわからないから、自分がどうすべきかがわからない。今まで当たり前だと思ってきたことが通用しないのでは、という悪い予感もする。その一方で「ここから逃げるわけにはいかない」と強く自覚している……。
そんな生々しい感覚まで思い出したのは、津村記久子さんの『ワーカーズ・ダイジェスト』を読んだあと。
ここである男女が見舞われる仕事上の災難には、まさに「はっきりした理由がわからないからこその怖さやしんどさ」があるのです。
物語は佐藤奈加子と佐藤重信という、「佐藤さん」ふたりの視点でつづられていきます。
まず奈加子は、大阪のデザイン事務所勤務。副業でライターの仕事をしていて、二か月前に十年近く付き合った恋人と別れたところ。
重信は建設会社の東京本社勤務。出身は大阪で、かなり長い間彼女がいない様子。
そんなふたりが出会ったのは、仕事の打ち合わせでした。ともに代理でやってきたのも偶然でしたが、さらなる偶然はふたりが同じ苗字、同じ生年月日(もうすぐ32歳)だったこと。
ただそこで運命を感じあう……なんてことはなく、用事が終わるとさっさと解散。しかしそのあと奈加子がお気に入りのカレー屋に入ると、そこに重信が!
それでも特に盛り上がることはなかったものの、お互いそれなりの印象を残していたことが、その後描かれるふたりの生活でわかります。
「副業のライターの仕事が、副業なりに軌道に乗ってきている」奈加子は、心身ともに疲れ気味の日々を送ります。理由のひとつは、職場の人間関係。
バイトの中曽根さんが「はっきり問題児」なのに加えて、富田さんという十二歳上の女性が、なぜか最近奈加子に対してだけつっかかってくる。
「理由がよくわからない以上、奈加子にも態度を改めようがなかったので、せめて話をする回数を減らすようにすると、昼食の場はますます気まずくなった。」
こういう現象って、女性の小集団にありがちですよね……(苦笑)。
もうひとつ頭が痛いのが、本業の仕事の依頼主からの原稿の訂正。そのくり返しは「永遠に終わらないような気がする」ほどで、彼のメールは「ふてぶてしく説教を交えながら、注文を書いて寄越すこともあれば、人が変わったように、変更に継ぐ変更に関する謝罪に走ることもある」。
“なんなんだ、コイツ?”という感じですが、奈加子がやっと気が付いたのは「(依頼主が)ちらつかせるのは、敬意に対する欲望だった」ということ。
いるいる! 「○○さんってスゴイですよね~」と折に触れ言わないと不機嫌になる人!
自分に問題がなくても、相手が望む態度をとらないと仕事が先に進まないなんて、理不尽としか言いようがないのですが……。
理不尽という点では、実は重信のほうが深刻でした。
大阪に転勤になった彼は、あるマンションの工事を担当することになります。ところが周辺住民と思われる男からクレームの電話が。
「お詫びなどいらない、とにかく工事をやめろ、もしくは、もっと静かに、一切の臭いや埃も出さず、工事にかかわっている人間はしゃべるな」。
こう主張し続ける男に、重信は直接お詫びにうかがいたいと繰り返しますが、それは聞き入れられず、
「この電話の相手は、工事がどうこうという以上に、苦情を言うことを楽しんでいるということがわかってくる」。
しかもその男は、東京の本社にまで同様の電話を入れるというタチの悪さ!
重信に落ち度があったという評価はされなかったものの、本社にいる同期から「みんな心配している」という電話を受けた彼は
「(社内での評価はあまり気にしないほうだと思っていたが)こんなことでそれ(将来)が綻ぶのか、というむなしさで体が冷えた」。
ああ、つらいよね、重信。
その他にも、奈加子と重信には大小さまざまな災難が降りかかります。
それらが結局どうなったかというと、相手の事情がわかってスルーできるようになった件もあれば、粛々と作業を進めて乗り切った件もあれば、大好きな洋食を食べて得た充実感で“心を整えた”件も。
つまり、ドラマの水戸黄門みたいなはっきりした解決のしかたではなく、奈加子も重信も「何だかな~」という日々を送りながら手探りで問題解決を図った。その結果、なんとなく次に進めたんですね。
ラストでようやくふたりは再会するのですが、自分でも意外なことに、読みながら涙がぽろぽろこぼれてきました。
交わされるのはドラマティックとはほど遠い会話だし、ふたりが一皮もふた皮もむけたわけではない。最初から最後まで、地味で淡々としたエピソードが積み重ねられた物語です。
でも、人が目の前の問題を解決しようとしながら生きていく姿ってこんな感じだよね、それしかないよね、一発大逆転はなくてもいいよねと、心の底から思えた。それくらい、説得力のある小説なのです。
以前から津村さんの作品は大好きですが、これからもきっと私の心の支え。追いかけ続けたい作家のひとりです!