とある事情により、我が家でとても大きなくまのぬいぐるみを預かることになりました。
名前はまーくー。
リビングのパーソナルチェアが彼の指定席となり、帰宅すると「ただいま~」と呼びかけるのが新たな習慣に。
まーくーがうちに来たのをきっかけに、別室に置いていた三匹のテディベアもリビングに連れてきました。
というわけで、リビングのくま率が急上昇。気がつくと、もふもふの手足やからだを触って、ひとりでにんまりしています。
「ペットのいない家だから、いつの間にかやわらかいもの欠乏症になっていたのかな」としみじみ。
そこで思い出したのが、酒井駒子さんの『よるくま』という絵本でした。
とても人気のある本なので、お子さんに読んであげたという方も多いかも。また、月明りのもと手をつないで歩く男の子とこぐまの表紙を見て、「ああ、あれね!」と思い出す方もいらっしゃるかもしれません。
それはこんなお話。
ある夜、ベッドの入っていた男の子は、ママにこう打ち明けます。
「あのね きのうのよるね、うんとよなかにかわいいこが きたんだよ。」
「おとこのこ かしら おんなのこ かな」とママがたずねると
(次のページになり)
「ううん、くまのこ」
「だいてみたら かわいかった。そのこは よるくま というなまえ」
ここです、ここ。
ページをめくると飛び込んでくる、よるくまのかわいいことといったら!
男の子を見上げる凛とした目、きりっと結んだ口もと、すっくと伸びた姿勢……
見ただけで、「頑張ってここまでやって来たんだな」と思えてきます。
毎回この絵を目にするたびに、胸がギュッとしめつけられるようになって。何なんでしょう、この感情。
悲しいからでもなく切ないからでもなく、あまりにもかわいらしくて、けなげで、泣きそうになる。
あんなふうに子どもの瞳が無邪気な時期は短くて、自分を含めすべての大人はもうあの頃には戻れないと思うからでしょうか。
ただただ、純粋なものの輝きに心を打たれるからでしょうか。
自分でもよくわかりませんが、とりあえずそれについては深く考えないことにしました。
理屈は二の次で、心を解放してくれる本って必要なのかもと思ったからです。
話は『よるくま』に戻りますが、彼が男の子の家に来たのは「めが さめたら おかあさんが いなかった」から。つまり、おかあさんを探しにきたのですが、そこから男の子とよるくまのおかあさんを探す冒険が始まります。
あとは読んでのお楽しみということで。
子どもだけでなく、大人も寝る前にこの絵本を読んだら心が落ち着くのでは、と改めて思いました。
その日がどんな一日だったとしても、とりあえず今日は休もう。そしてシンプルな気持ちで明日を迎えよう。そんな気持ちになれそうと感じたから……。
「酒井駒子さん」と「くま」つながりで、もう1冊ご紹介したいのが『くまとやまねこ』。
酒井さんが『よるくま』とは違う画風で絵を描き、作家の湯本香樹実さんが文を手掛けた絵本です。
内容は『よるくま』とは別の意味で胸をしめつけられるというか……なかよしのことりを亡くしたくまの、心の軌跡を描いたお話。Ourage世代の心にずしんと響くくらい、真正面から喪失感と向き合っています。
大切な人を失ったとき、自分の感情とどう向き合えばいいのか。それはあまりにも難しい問題だし、「こうすべき」という指針などあってないようなものだと思います。
ただ「できれば自然に前を向くようになりたい」。そう考える人が多いのでは。
だからこそ「こうすべき」的な口調ではなく、ただ「おはなし」をそっと置く感じの『くまとやまねこ』のような絵本は、きっと静かな力になると思うのです。
読み方は人によって自由だし、読み返す時期によって味わい方が違ったりもする。そういう意味で、一生の宝物になる気がして。
私自身そうなのですが、書店の絵本コーナーをのぞくと、なぜか引き寄せられるように気の合う1冊と出会えます。
あっという間に立ち読みできるのも絵本のいいところなので(笑)、ぜひ書店でセンサーを働かせてみて下さい。
もしかしたら、絵本コーナーが新たなヒーリングスポットになるかもしれません。