OurAge世代の方ならきっと目に浮かぶと思いますが、その昔、ニュートラなるものが流行ったことがありました。
たとえば、派手な色使いのシャツにセミタイトのスカート、靴やバッグはヴィトン、セリーヌなどなど。
当時の私は、年頃の女の子相応にファッションに興味はあったけれど、「あのスタイルとは無縁だな~」と思っていました。
一番の理由はブランドものを買う余裕がなかったからですが、もうひとつの理由は、服で自分がジャンル分けされるようでこわかったから。
とはいえちょっと試してみたい願望があったのか、一度だけ派手シャツを買い、サークルの集まりか何かに着て行ったことがあります。 みんなの反応は「似合うじゃん!」。
ところが自分でも驚いたことに、全然うれしくなかったのです。
多分それほど好きじゃなかったのに、なんとなく流行の迫力に気圧されて買った服だったからでしょう。
とても居心地が悪く、複雑な気分になったことを、よーく覚えています。
そんなあれこれを思い出したのは、綿矢りささんの『ウォーク・イン・クローゼット』を読んだから。ある意味これは“女性と服を巡る愛と格闘の話”なのです。
主人公の早希は、洋服が大好きな28歳のOL。
「すべての衣類をクリーニング屋さんに任せられればいいけれど、お金の余裕もない。それに急に外出の用事が入ったとき、あの服がいまクリーニング中で無いなんて! とクローゼットを開けて嘆き悲しむ事態もさけられる」からと、予定のない休日は風呂場で洗濯ざんまいです。
そのやり方は、手洗いが必要な服の場合、衣類ごとに洗い方や干し方を考え(レザー素材でも自分で洗う!)、アイロン組はハンガーに吊るしてスチームアイロンとそれ用のミトンでシワなく仕上げる。ほぼ一日がかりでそれらが終わると充実感を得られる……というのだから偉い、スゴイ!
そんな彼女が着る服は、ほとんどの場合“対男用”。大人っぽい服を着てみたい願望もあるけれど、結婚という流れに持っていける彼氏ができるまではガーリーで清楚なモテファッション、と決めています。
運命の男性がどういう人かわからないから、とりあえずオールマイティな服にしておこう、と。
つまり早希は服そのものを愛しているし、それらに婚活という目的を盛り込んでいることも自覚している。服にそれほどの思い入れがなく、何とな~く選んだ昔の私とは大違いです。
だから「あっぱれ!」と言いたいところなのですが、心のどこかにしこりが残って……。
「早希が少し前に恋人に去られて痛手を受けたのはかわいそうだし、その後年齢を考えて婚活に適した服を着なくちゃ、という気持ちになったのもわかる。でもやっぱり、あざとさが漂ってしまうんじゃない?」と思ったのです。
好きになった人といつの間にか恋愛関係に発展して結婚、という偶然かつロマンティックな流れがベスト、とは思いませんが。
早希と並ぶ重要人物が、幼なじみで親友のだりあです。彼女は売れっ子のタレントだけあって、クローゼットの中は都会的で素敵な服でいっぱい!
といってもそれらは、スタイリストが選んだ彼女に似合う服(を、買い取ったもの)。だりあが自分で選ぶと、元ヤンテイストが出てしまうというのだから、ちょっと笑ってしまいます。
早希から見ると憧れの服ばかりなのに、だりあにとってはブログにアップするとき役立つものであり、「働いて手に入れた服に囲まれてると、いままでの頑張った時間がマボロシじゃなかったって思って、ホッとする。(中略)私にとっては、きれいな服は戦闘服なのかも」。
つまり、早希にとってもだりあにとっても、服は「こう見てほしい」自分を作る手段なんですね。
人は見た目で左右されるものだから、戦略的に服を選ぶのは基本的に間違っていないと思います。20代後半の女性ともなれば、ある程度社会のこともわかってきて、「生き抜くためには武装も必要!」という気持ちにもなるでしょう。
そんな彼女たちをたくましく感じながらも、なんだか疑問をぬぐえずに読み進めていたら、
突如だりあの妊娠が発覚!
マスコミに追いかけられる、という事態になったのでした。
だりあにとっても早希にとっても、想定外のこの出来事。その後のストーリーはそれまでとはテイストが変わる……というか、ふたりの意外な一面が出てきて、読み手としては「いったいどうなるの?」とハラハラドキドキ、そしてワクワク(事態は深刻だけど)。
「早希って、意外とたくましいじゃない!」と彼女を見直し、痛快な気分になったのです。
そしてこの経験は、ふたりの生き方の芯の部分にも影響を及ぼすことになって……。
「私をこう見てほしい」という気持ちは、いくつになっても誰もが持つもの。特に早希やだりあのように感受性が鋭くて、意外と古風で、真面目に生きていこうとする女性ならなおさらでしょう。(多分そんな風には見えないふたりですが)
ただ願望の方向があまりにも本来の自分とかけ離れていたら、そしてやり方が目的化しすぎていたら、やっぱり息切れしてしまうのでは。
自己アピールって「私、こんなんですけど、どうでしょう?」ぐらいのゆるさを持っているぐらいがいい塩梅なんじゃないかな。気持ちに余裕がないと周囲が見えなくなるし、融通が効かないし……というのが私の結論なのですが、今のご時世でこの考え方は甘いのかな。