何の巡り合わせなのか、たまに災難や悩ましい問題が続けざまに起きることがあります。
そんなとき、私の頭をよぎるセリフは「あ~もう“舌かんで死んじゃいたい”」。
もちろんその通りのことをしたいわけではありませんが、やれやれとため息をつきながらつぶやいてしまう……。
実はこれ、1969年に刊行されてベストセラーになった庄司薫さんの『赤頭巾ちゃん気をつけて』に出てくる言葉。
主人公・薫のガールフレンド・由美がご機嫌ななめで言うこのセリフのかわいらしさにやられて、若き日に読んで以来、ボキャブラリーとして定着したんですね。
もしかしたらヒロイン気取りでそう言ってみることで、重くなりそうな気分を切り替えているのかもしれません。
私に起きた災難は「舌かんで……」とぼやいているうちに何とかなりましたが、小説内で起きる出来事がその程度だったら面白くないわけで。
登場人物に次々に壁が立ちふさがったり、先行きがまったく見えなかったりして、まるで身内のように「どうする? どうなる?」と心配するくらいでなければ物語にのめり込めない!
もちろん困難な状況に彼らがどう立ち向かい、解決していったのかという過程が一番の肝です。
そういう意味でとても納得できたし、清々しい読後感が残ったのが吉田修一さんの長編小説『路(ルウ)』。
ご都合主義とは無縁の展開で、「人はこうやって進路を探していくものだ!」と心底思えた作品でした。
最近よく聞く言葉に「元気をもらった」がありますが、私はこれがちょっと苦手。「本当にそう思ってる? 適当に使ってない?」と感じることが多かったからです。
でも『路』を読んだあと、とても素直に「元気をもらえた」と思えたのだから自分でもびっくり。
ひねくれ者をまっすぐにするくらい、パワーのある小説だったんですね(笑)。
さて『路』の特徴は、実際にあった出来事がベースになっているという点です。
それは、日本の新幹線技術を駆使した台湾版新幹線(台湾高速鉄道)の建設。
この巨大なプロジェクトにかかわった日本や台湾の人々の思いが、2000年から7年間にわたって(フィクションとして)重層的に描かれていきます。
中心になるのは、大手商社の台湾新幹線事業部に所属する春香。入社4年目という若さでプロジェクトの一員に抜擢され、台北に移り住むことになります。
タフな性格の彼女は、着工から開通に至るまでの山のような仕事に邁進していくのですが、その過程をざっくり言えば「三歩進んで二歩さがる」。
日本企業と欧州勢の混合システムで台湾に新幹線を作るのだから、大筋で合意していても、さまざまな問題が生じるのは当初から明らかだったのです。
春香たちのチームはそれらを地道に解決していきますが、ひとりひとりの裏側にはプライベートな問題も。
つまりこの小説では、公私両面で奮闘する人々の姿が浮き彫りになっているんですね。
たとえば春香は、体調を崩した日本にいる恋人のことがとても心配。一方で、かつて台湾旅行で出会った青年のことが長い間気にかかっています。
上司から「(その台湾人青年との)悲恋に決着つけるために台湾出向を受けたらしいじゃない?」と言われて否定しますが、悲恋ではないにしても、彼が春香にとって忘れられない人であることは確かなのです。
また同じプロジェクトチームの安西は、長い間妻と上手くいっていません。そのせいか、クラブで働く若い女性・ユキに惹かれ始めています。ユキもまた、安西に純粋な想いを寄せているようで……。
最初は新幹線プロジェクトと無縁のように思われた葉山という老人、そして台湾人のちゃらい(!?)青年・威志も重要人物です。
身の上はまったく違いますが、ふたりともあまり未来に希望を持っていなかった。「このまま何となく生きていくのかな」みたいな感じでした。
ところがひょんなことから、彼らの人生に台湾や新幹線がかかわることになる……このあたりの展開の上手さは、さすがストーリーテラーの吉田修一さん!
時の流れの中でいつの間にか彼ら自身が変わり、運命をも変えていく姿にワクワクさせられました。
次のページに続きます。
ここまで書いて、ふと思ったことがあります。それは、この小説の一番の魅力は“時間の力”を肯定的に描いているところなのでは、ということ。
話はちょっとそれますが、私は前回の朝ドラ「あさが来た」が大好きで、毎日熱心に観ていました。
理由を挙げるとキリがないくらいですが、そのひとつが“人の世の真実をついたセリフがたくさんあったから”。
たとえば、主人公付きの女中・うめが最終回近くで言った
「時だけが解決できるいうこともこの世にはようけいありますさかいな」
というセリフ。
「時間が解決する」という考え方自体は目新しいものではありませんが、そのセリフに至るまでの過程が視聴者に「本当にそう!」と思わせるものだったから、私はこの言葉に感じ入り、記憶に残ったのだと思います。
『路』の登場人物が「時間が解決する」とダイレクトに言うシーンはありませんが、吉田修一さんは物語全体を通して“すぐには答えが出なくても、時間をかけてやることの確かさや尊さ”を描いていたように思えて……。
もちろん、日々を適当に過ごし、時が流れるままにしているうちに事態がよくなる、なんてことはありえません。
少しずつでも変わろう、先に進もうとしていなければ、時間は味方してくれないはず!(と、思いたい)。
これから先、人を信じられなくなったり、途方にくれるほど落ち込むことがあるかもしれない。そして、その対処法を見つけられるかどうかはわからない。
でも『路』を読めば少なくとも「とりあえず今日は寝て、明日新規まき直し!」と思えるんじゃないかな。
そんなことを感じられたのだから、この本は本棚の一等席に置いて、生涯の友にすることになりそうです。