写真提供:ISI日本語学校 グループ
【お話を伺った人①】
マサコさん
ISIランゲージスクール 非常勤講師
大学経済学部を卒業後、商社に約5年間勤務。結婚を機に退職し専業主婦に。51歳だった2013年7月から、2015年6月まで日本語教師養成課程で学び、日本語教師に。2015年10月よりISIランゲージスクールの非常勤講師として勤務。
↑2019年、担任を務めたクラスにて記念撮影
【お話を伺った人②】
サトコさん
ISIランゲージスクール 非常勤講師
大学を卒業後、会社員生活を経て、NYの大学院に留学。英語教授法を学ぶ。帰国後は外資系出版社に勤務。結婚・出産を機に退職。40代後半に日本語教師養成課程修了。「日本語教育能力検定試験」に合格。50歳からISIランゲージスクールに勤務。
50代で「やりたいこと」を見つけたマサコさんと、若き日の情熱が再燃したサトコさん
Q:お二人が会社員生活や子育て期間を経て、50代で日本語教師を目指そうと思ったきっかけは何ですか?
マサコさん:高校で進路を選ぶ際、「人」や「社会」のあり方、「多様性」といったことに興味があったので、大学では社会学を学びたいと思っていました。でも、父に「就職が難しい」と反対され、経済学部に進学。卒業後は商社に入り、人事部や秘書課で働きました。
結婚を機に退社し、出産後は専業主婦として家事と子育ての日々を送っていましたが、「子どもの手が離れたら何か学びたい」という気持ちはずっと持っていたと思います。それで、上の子が大学受験、下の子は高校受験という年に、「この一年は遊びに行くこともできないから、それなら私も家で子ども二人と一緒に勉強をして資格を取ろう」と決意しました。このとき、なぜ「日本語教師養成講座」を選んだのかというと、きっかけは偶然出会ったコミックエッセイです。
↑マンガが大好きで、自宅には700冊の蔵書があるというマサコさん。このマンガを読んで日本語教師の仕事に興味を持つように
このマンガの中では、日本語教師と、さまざまな国から日本語を学びにやってきた学生さんとの、日々のちょっとしたエピソードがたくさん紹介されていました。例えば答案の採点は、日本では〇が正解で✓が不正解ですが、他の多くの国では〇が不正解で✓が正解。〇がいっぱいついた答案を返された学生がショックを受けて落ち込んでいるので、不思議に思い聞いてみて初めて〇が正解という日本が少数派だと知った、とか。
こうした、日本人と海外の人との視点・感覚・常識・習慣の違いがとても興味深く描かれていて、思わずクスッと笑ってしまうエピソードがたくさん紹介されていました。そして、自分がそれまでいかに「井の中の蛙」だったかということを実感するとともに、毎日がこのような驚きと発見にあふれている「日本語教師」という職業に興味を持ちました。
サトコさん:私は20代の頃から、世界中の人と友達になりたいという思いがあり、大学時代に一度、日本語教師養成学校に通って学んだことがありました。でも、当時はまだ日本語教師としての就職先が少なかったので、その夢は諦めて一般企業に就職。その後、結婚、出産し、その夢は置き去りになっていました。それが、子どもに手がかからなくなってきた頃から、もう一度、外に出て働きたいという思いが強くなり、一度は諦めた「日本語教師になりたい」という気持ちがよみがえってきたんです。それで、子どもの中学入学を機に学び直すことにしました。
記憶力・集中力のダウンを痛感するも、新たな学びにワクワク!
Q:2024年に、認定日本語学校で働くための「登録日本語教員」という国家資格が創設されましたが、お二人が日本語教師になった当時、日本語教師になるには、どのような方法がありましたか?
マサコさん:日本語教師になる方法にはいくつかあり、私は「日本語教師養成課程」を修了し、日本語教師になりました。
「日本語教師養成課程」を修了するには、日本語教師養成機関で420時間の授業を受けた後、レポートを提出または試験に合格することが必要でした。
420時間の授業では、日本語という言語全般の知識を身につけます。音声、語彙、文法、表記など、あらゆる角度から学び、理解し、その指導法を習得することが求められました。また、日本の文化や社会、歴史についての理解を深める科目もありました。
サトコさん:私も同様に、日本語教師養成機関で420時間の課程を修了しました。また、日本語教師になるための方法としてはもうひとつ、「日本語教育能力検定試験」に合格するという方法もあり、私はこれも受験し、合格しました。
対策としては、大学受験と同様、過去問を3年分くらい繰り返し解きました。「日本語教育能力検定試験」は、マークシート方式の問題のほか、記述や聴解(音声の聞き取りなど)の問題もあり、言語指導にかかわるさまざまな知識を問うものでした。普段、日本語を母語として何気なく使っているものの、改めて日本語の発音やアクセントについて問われると迷うことも多く、いろいろな問題がある中でも、特に難しいと感じました。
こうした受験勉強は20年ぶりくらい。何度も繰り返してテキストを読むのですが、覚えたいこともなかなか頭の中に入っていかず、記憶力は学生時代に比べるとすっかり落ちていると感じましたね。それでも、久々の学びの時間は、とてもワクワクするものでした。
↑「あ・い・う・え・お」といった、普段日本語を母語とする人が、何気なく発している音を唇の形や舌の位置で解説した音声学は、日本語教師が知っておくべき基礎知識のひとつ
文化の違いを楽しみ、学生から学び、自分の視野を広げる
Q:現在、日本語教師をしていてやりがいを感じるときや、楽しいなと思うことは何ですか?
マサコさん:日本語の意味や使い分けについて、学生からの素朴な質問を受け、私自身がさまざまな気づきを得られるというのが楽しいですね。
例えば「冷ます」と「冷やす」の違いは? とか。普段何気なく、意識せずに使っている言葉も、改めて説明するとなると、うまく説明できないことがたくさんあります。それで、それを学生に説明するために調べてみると、日本人でありながら知らなかった言葉の意味や用法、語源を知ることができて、とても勉強になります。また、「日本語」だけでなく、日本の習慣や文化についても、予想外のさまざまな質問が飛んでくるのが面白いですね。
「こんな質問がくるだろうな」と予想できることは、ある程度授業前に自宅で調べて準備をしますが、想定外の質問を投げかけられることも多いです。そうしたときは「先生の宿題にさせてください」と持ち帰ります。
このように自宅で調べものに割く時間も多いので、大変といえば大変かもしれませんが、よりよい授業をしたいと思うと、ついつい調べものにも力が入ります。それは、自分自身の学びになり、視野を広げることにつながるのでとても貴重な機会をいただいているなと感じています。
サトコさん:本当にそのとおりですね。それから、私たちは日本語や日本の文化・習慣について教えますが、逆に学生からは、母国のことをいろいろ教えてもらえるのが楽しいです。日本にいながらにして、こんなにもたくさんの国の人と話ができて、その国のことを、それも暮らしに密着した「生の声」を聞けるという機会はなかなかないのではないでしょうか。こうした声に日常的に触れることができるということも、この仕事の醍醐味だと思います。
↑これまでサトコさんが受け持った学生の出身国(地域)を書き出したノート。8年間でおよそ40カ国に
それに、学生に出身地や母国のことを尋ねると、みんな目をキラキラと輝かせて、日本語で一生懸命話してくれるんです。例えば、私は料理の話をよくします。ローマ(イタリア)出身の学生に「カルボナーラには生クリームは使いません」と力説され、日本で一般に知られているレシピとはまったく異なることに驚いたことがありました。そのほかにも、四川省(中国)出身の学生からは麻婆豆腐、台湾から来た学生には鶏肉飯の作り方を教わりましたし、タイの学生にガパオライスのレシピを日本語で書いてもらったこともあります。
自分の国の魅力について語るとき、学生は覚えたての日本語を駆使して、拙くても一生懸命説明しようとしてくれますので、そういった学生の話を聞くのが、私は楽しくて仕方がないです。何時間でも聞いていられますし、「もっと聞かせてほしい」と思って聞いています。
マサコさん:学生たちが生き生きとしている姿を見るのが何よりのやりがいですよね。学生が日本語を学びに日本に来た動機はいろいろで、アニメなどの日本の文化が好きで日本語を学びたくて来たという学生もいれば、母国での進学がうまくいかずに、第2、第3の選択肢として日本への進学を決めたという学生もいます。
そうした学生は、挫折感を抱えているためか、学期がスタートしたばかりのときはクラスになじめず、授業中もずっと腕組みをして黙っているということもあります。でも、そんな学生が、だんだん話をするようになって、クラスにも友だちができ、授業にも積極的に参加するようになって、卒業の際には希望を持って日本の大学に進学していく。そんな姿を見ると本当にうれしいです。
↑マサコさん、サトコさんが非常勤講師として勤務するISIランゲージスクール。1977年創立のグローバル人材育成総合企業 WEWORLDグループの日本語学校であり、全国に7つの学校を展開するISI日本語学校の中でも最大規模の学生数を誇ります。 2024年度の学生数は2626人。常勤・非常勤合わせて約270名の日本語教師が在籍しています。2025年4月には東京・西新宿に移転し、定員4500名の日本最大の日本語学校として開校予定
写真提供:ISI日本語学校 グループ
母としての経験や、会社員として培ってきたものが、日本語教師の仕事にも生きる
Q:これまでの人生経験が生かせる職業であり、50代くらいから日本語教師になる人も多いと聞きましたが、お二人も実際、そのように感じられていますか?
マサコさん:日本語教師は、言葉を教えるだけでなく、日本での暮らしについてのアドバイスをすることもありますので、母親としての経験がすごく役に立っていると感じます。
また、「頑張っているのに成績が伸びない」と悩んでいる学生を見ると、我が子が学生時代、成績が伸び悩んでいたときのことを思い出します。「怠けているわけではないけれど、何かそれがうまく点数に結びつかないときってあるよね」ということが、とてもよくわかりますので、どのように声かけをしたらいいか、我が子のときの経験が役に立っているように思います。
サトコさん:社会人としてのさまざまな経験も生かせますよね。例えば、会社員としてのキャリアをお持ちの先生は、ご自身のビジネス経験を生かして、ビジネス日本語のクラスを担当されています。日本語とともに、日本の企業で働く際に重要なビジネスマナーやビジネストークで必要になる表現を教えられるのは、やはりビジネス経験の豊かな先生です。
Q:今後はどのようなライフプランを思い描いていますか?
マサコさん:50代からの仕事として日本語教師の仕事を選んでよかったなと思うことのひとつに、長く働けるということがあります。実際に70代の先生もいらっしゃいます。
また、現在勤務している学校では、非常勤講師として働く場合、働く曜日やコマ数、時間は希望に合わせて調整していただいています。こうした働きやすさもこの仕事の魅力ですので、長く続けられればと思っています。
サトコさん:私の夢は、いつか韓国に語学留学すること。実は私は韓国ドラマや映画をよく見るのですが、韓国の社会問題や歴史がテーマの作品は、人々のパワーみたいなものをすごく感じられて特に興味深いです。ぜひ、現地で韓国語を勉強してみたいと思っています。
それともうひとつ。これは日本語教師になってから持つようになった夢ですが、アジアのどこかの国で暮らし、そこで日本語を教えられたらいいなと思っています。
マサコさん:先ほども少しお話ししましたが、最近は学歴競争社会に翻弄されるなど、さまざまな理由で精神的に疲弊してしまっている留学生を目にすることが増えてきました。いちばんキラキラ輝く年代なのになぁ、と思います。私は学生たちが自分で自分のライフプランを描いて、それを実現していけるような世の中になってほしいなと思っているので、そのお手伝いをすることが、私の今後のライフプランです。
日本語を学びに日本に来た学生たちが、楽しく元気に学び、日本語学校を卒業した後、日本の大学に進学したり、日本の企業に就職したり、あるいは母国に戻って好きな仕事をしたりできるようお手伝いができればと思います。
【資格PickUp!】
登録日本語教員
2024年4月から日本語教師の国家資格として「登録日本語教員」が創設されました。認定日本語教育機関(※注)で日本語教師として働くには、この資格が必要になります。海外で教える場合や、認定日本語教育機関以外の場所で教える場合には、「登録日本語教員」の資格は必須ではありませんが、日本語教師としての能力を有するものとして評価を得られます。
※注:文部科学大臣により、日本語教育機関の認定制度の下で日本語教育を適正かつ確実に実施できるかという点が審査され、認定される日本語教育機関のこと。
【参考リンク】
日本語教員試験に関すること:文部科学省
取材・文/瀬戸由美子