50代までは太りすぎない。60代以降は痩せすぎない
――「一生スリムでいたい!」というのは多くの女性の願いですが、未来の医療でかなえられるでしょうか?
女性の場合は特に、「ずっと痩せていたい」という気持ちがあることは理解しています。この痩せていたい問題については、いったん整理して考えていきましょう。
まず、太っているほうが悪いこと、痩せているほうが悪いこと、両方のファクターがあるわけです。前者についてはわかりやすいですが、心血管病リスクや生活習慣病リスクが高いということ。心筋梗塞とか心不全とか、いろいろな循環器系の病気になる率は、太っている人が高いのは間違いありません。メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)の該当者、その予備群の人は、高血圧や糖尿病などの生活習慣病発症リスクが通常よりも高いことがわかっています。
そういう、人生で蓄積していく病気のリスクを防ぐためには、20代から50代までは、痩せていたほうがもちろんいいんです。ただ60代以降になっても痩せていると、病気や手術の回復が遅くなったり、大きい手術では命を落としたりする危険性もあるんです。
――先生の著書『未来の医療年表 10年後の病気と健康のこと』(講談社現代新書、2020年)にも、「60代からは小太りが健康長寿の秘訣」とありましたね。
はい。例えば災害の多い日本では、先の能登半島地震でも、長期避難による災害関連死が危惧されています。特に冬の寒冷地域では、体力はどんどん落ちていきます。体力が弱ってくると、人は自分の体の脂肪を分解して栄養にするわけですが、痩せている高齢者は、それができなくなって災害関連死につながりやすい。「術後の治りが悪い」という話と同じで、60代以降の体重は、体力と比例するとも言えるんです。
――つまり、ただ「痩せていたい!」と考えるのではなくて、50代までは太りすぎないようにベスト体重をキープして、60代以降は痩せすぎないように体重をキープする、ということですね。
そうです。ただ痩せていればいいと考えるのは、生涯にわたる健康の観点から言えば、ちょっとNGなんですよ。50代までは生活習慣病リスクを減らし、内臓脂肪がつきすぎないよう心がける。60歳を過ぎたら、瘦せるために頑張るのではなく、十分に栄養をとったうえで、近所をウォーキングするなど、体力を維持して筋力を増やすような運動をして、体重を維持する。特に筋肉を落とさないように気をつけることが重要です。
糖尿病の薬をダイエット目的に使う危険性
――自由自在に痩せたり太ったりを、コントロールできるようになればいいですけどね。
痩せるほうで言えば、今まさに社会的な問題になっているケースをご存じですか?それは、2型糖尿病の治療薬として承認されている「GLP-1受容体作動薬」という、糖尿病の特効薬の間違った服用です。糖尿病患者の人に対しては、その薬のおかげで、この10年ほどの間で、大きなメリットがありました。インスリンの分泌を促し、血糖値が高い2型糖尿病患者の数値を下げる効果が期待できることがわかったからです。
問題は、2023年3月に肥満治療薬として承認されたこと。食欲を抑える働きもあることから、ダイエット目的で使用する健康な人が増大して、大きな社会問題になっているのです。下手をすると薬が足りなくなってしまい、本来の糖尿病患者さんに行き渡らなくなるおそれもあります。メディアでは、その副作用で体調を壊している人のケースも報道され始めました。
――このGLP-1受容体作動薬のダイエット目的使用については、問題を解決する手立ては始まっているのでしょうか。
昨年末、厚生労働省からは、適正使用についての注意喚起が出ました。
ただ、問題はそう簡単ではないんです。厚生労働省の管轄である独立行政法人の医薬品医療機器総合機構(PMDA)は、医薬品の有効性や安全性を審査する公的機関。このPMDAが該当の薬を承認して、厚生労働省が公定価格を決定すると…。つまり、一度、保険診療で出す薬の値段をお上が決めてしまえば、その後医師が自由診療として、全額自己負担で処方することができてしまう、という現状がこの国にはあるんです。
――一度薬として公的に承認されたら、自由診療で処方するかどうかはお医者さんの裁量に委ねられてしまう。
そうなんです。仮に「保険診療では3000円だけど、自由診療で1万円です」としても、その薬を欲しがる人は来るでしょうし、お医者さんも儲かってしまうから難しいところです。「痩せたけれども、こんな副作用が起きています!」というエビデンスがもっと広がっていかないと、人の意識もなかなか変わらないでしょうね。
それに、心臓に負担がかかるほど体重がある患者が、GLP-1受容体作動薬を医療保険で処方してもらって、実際に痩せるために飲むこと(注:BMI35以上か他に肥満兆候のあるBMI27以上の人)は何にも問題ではないわけですから。
ずっと痩せ続けることよりも、肌の美しさを保つほうに注力を
――お話を伺っていると、「永遠にスリムでありたい」という価値観そのものを変える必要があるように思いました。
本当にそうなんですよ。例えば「サルコペニア」といって、加齢によって筋肉量が減少し、筋力や身体機能が低下する病気があります。要は寝たきりの原因にもなっちゃうんですよね。だから「あと5Kg痩せたいな」ということよりも、そういう病気になってしまうほうがずっと深刻だと思いませんか?将来もし介護施設に入ったとしても、筋肉が足りなければ、自力で寝返りもできなくなってしまうのですから。
――「痩せて美しくありたい」と、「一生健康な体でありたい」というのは、別の次元のお話ということがよくわかりました(反省)。
「美しく」という部分でいうと、そこはむしろ医療未来の分野のひとつ、美容医療を味方につけるということには大賛成です。幹細胞治療*についても、僕は全然、悪者だとは思っていません。例えば幹細胞治療で行うのは、脊髄の損傷部分や心筋細胞などで、そういう臓器や細胞の再生のために技術はどんどん上がってきていて、「応用分野としてお肌にも使えますよ」ということですからね。僕としては、ただ痩せているだけよりも、肌がきれいなほうがいいと思うんですけれども。
*患者自身の脂肪組織に含まれる幹細胞を取り出し、培養したうえで、患部に局所注射または点滴にて注入する治療法。 傷ついた部位の修復のほか、老化した毛細血管や血管壁を修復することでアンチエイジング効果もある。
――「痩せているより肌が美しいほうがいい」、なるほどです! 確かに間違った薬の服用で副作用に怯えるよりも、美容医療のテクノロジーの力を借りて、ハリ感のある肌、シミやシワの少ない肌で若々しく見えるほうが、ずっとヘルシーですよね。
美しさというのは、やっぱり普遍的な価値でしょう?なので僕も昨年、ピコレーザーというレーザー照射のマシンで、シミ取りをしましたよ。目の前にいるおじさんだって、シミがたくさんあるよりは、少ないほうが絶対いいじゃないですか(笑)。シワも少ないほうがいいし。
ピコレーザーでのシミ取りについて補足すると、あれは取り残されたメラニン色素を壊すことが目的なんです。若い人は通常、メラニン色素が局所にとどまらず、きちんと戻ってくれるんですけれど、老化によってメラニン色素が体に戻れなくなる。要は「お家に帰れなくなる」。で、帰れなくなって、お肌にダラダラとどまってしまった状態のメラニン色素はもう不要なものだから、それをレーザーで取ってしまいましょう、ということ。それで見かけもよくなってストレスも減って、異性とも仲良くなれるんだったら、何も悪いことないですよね(笑)。
――本当ですね〜。今回も、わかりやすいお話をありがとうございました!
経営学修士(MBA)。 専門は、医療未来学、放射線医学、核医学、医療情報学。 東京大学医学部22 世紀医療センター准教授、会津大学教授を経てビジネスに転じ、製薬会社、医療機器メーカー、コンサルティング会社等を経験。創薬、医療機器、新規医療ビジネスに造詣が深い
イラスト/内藤しなこ 取材・文/井尾淳子