前回の「私の更年期 その3」からしばらく時間があいてしまいました。
ぼーっと過ごした夏休みもはや終わり、(はたまたイ・ジュンギさん主演の新作ドラマの本国での放送も終わってしまい)ややウツな日々です・・・。
ちょっとした躁うつのアップダウンは更年期のせいか老年性かわかりませんが、日常のこと。気を取り直して書きますのでどうかおつきあいください。
<リバウンドは?>
そうそう前回お話したダイエット、あれは約2年前のことで現在でも2、3キロの増減はありますが(あ、増だけです)大きなリバウンドはありません。
3ヶ月間に身につけた食べ方、頭の中でのカロリー計算、マッサージや下着の着方などを曲がりなりにも続けてるので、体型的にもそんな変わらないような気がします。
こないだ友人のナオコさんに、
「そのとき言ってはいけないと思ったけど、
一番痩せたときは頬がこけて老けた感じだったよ〜。
今くらいがいいんじゃない」
と言われ。自分的には数キロ絞りたいところだけど、いろいろ忙しいし、ダイエット指導をしてくれたミユキさんにときどきみてもらってるし、まあいっかという感じです。
ところで、前回、「キレイになりたい」と美容やダイエットに目覚めたくだりを書いたら、
編集のふみっちーが、「女らしい」「男らしい」など性別役割分業的考え方の、否定派だった私の変化について
「性別役割について真剣に考えてきた人だからこそ、女性性を受け入れることでラクになれたのかもしれませんね」とコメントをくれました。
なるほど〜とそれについて少し考えてみました。
<女は若くてキレイがよい?>
私が20代の頃、「職場の花」という言葉に象徴されるように、女は若くてキレイなうちが花であって、年取ったら女ではない、というような言われ方が流布していて(痴漢にも遭わないのは魅力がない証拠、というヒドイのもあった)
私はこういう風潮が大っ嫌いでした。
女子大生時代はそれなりにお洒落もメイクもしていた(どっちかというとハマトラまたは陸のサーファー的な。古っ)のですが、就職した頃からそういう世間に反発し、やめちゃったんですね。
最初についた仕事は秘書だったにもかかわらず、ショートカットのストレートヘアにノーメイク、カジュアルなシャツにパンツスタイルという姿で仕事してました。
そういうのにわりとユルい職場だったのが幸いで、一般企業のOLだったら許されなかったかも。
当時、若い女子社員の多くは男性の補助職で、責任ある仕事は任されず、お茶汲み・コピー取りに明け暮れるという時代。
若くてキレイなうちは職場の“癒し”であり、「旬」のうちに相手をみつけて結婚で辞めると「コトブキ退職」と言われるけど、30超えても働いてると「お局(つぼね)さん」と揶揄される(クリスマスケーキなんて言葉もありましたね。25過ぎは存在価値がないみたいな)。
文字通り、若い女性は「職場の花」で、その最盛期を過ぎても働き続ける女性はうっとうしい存在とみなされていたわけです。
もちろん男の発想だけど、「世間の常識」として女性自身の意識にも刷り込まれていましたね。
元来アマノジャクな私は、そんななかでキレイになろうなんて、「奴ら(おっさんたち)の思うツボにはまること」、と別の生き方をしようと決めていた気がします。
ただね、好きな人(私の場合、男です)ができたりなんかすると、「キレイにみられたい」とか、無意識に「女らしい」態度になったりとか、「女性性」?なるものがムクムク頭をもたげてきて。
こういう葛藤のなかで20代、30代を過ごしたのでありました。
<閉経はアガり?>
後年、女性の健康や医療について取材するようになってから、こうした女性自身がもつ「女は若く美しく」という縛りが病気や症状につながっているという事実に多く出会ったんですね。
例えば、若い女性の摂食障害。
「痩せたい」とダイエットをきっかけに始まることが多く、一般に「女性は痩せているほうが美しい」という意識が浸透している社会における一種の文化病だと言われていました。
その一方で、丸みをおびた「女らしい体」になりたくないという(母親のようになりたくない、との母娘葛藤も含めて)女性性への否定が深層にある摂食障害もあり、
いずれにしても、「女らしさ」を巡って起きていました。
更年期についても同じでした。
上の世代の女性ほど女らしさへのこだわりや、「女は若いうちに結婚して家庭に入り、子どもを生み育てるのが幸せ」という価値観が強かったと思いますが、そういう性別役割的な女性性へのこだわりと更年期の症状が深く絡み合っていました。
昔は、閉経は「アガる」とかいって、この語感って「干上がる」とか、女の人生「上がり」、など「おしまい」という感じですよね。「女でなくなる」とか「夜のおつとめ、上がり」(大奥か! その場合は「床下がり」だけど)、みたいな、要するに生殖能力がなくなると、「もう女でない」、という感じだったんですね。
フランスに長く住んでいたナオコさんによれば、20年ほど前、友人のフランス人女性が50歳すぎても月経があるのを「まだあるのよ、フフフ」と嬉しそうに言っていたとのこと。当時は洋の東西を問わず、更年期〜閉経は「女でなくなる」というマイナスイメージが強かったのです。
「女は女らしくあるべき」という性別役割に価値を感じる女性ほど更年期障害の症状が重い、
という研究結果もあるほど。
女性の健康問題には文化的背景が横たわっていて、
そこに女性のライフステージの問題が加わります。
クニコさん(75歳)は、50代の更年期の頃、ひどいうつ状態に陥りました。当時、夫は仕事で帰りが遅く、2人の娘も成人して巣立ち、得意の手料理を作っても誰も夕ご飯に帰ってこないという状況。うす暗い部屋の中で膝を抱えてぼんやりじっとしている彼女を夫が発見して驚いたこともあったとか。
専業主婦で家事が得意で、家族の世話をすることが生きがいだったクニコさんにとって、その対象を失ったことが、更年期の症状に現れたのでした。いわゆる「空の巣症候群」ですね。
そこから回復したきっかけは、初孫の誕生だったとか。近くに住む長女に男の子が生まれ、「こうしてはいられない」と、孫の世話役割を取り戻したクニコさんのうつ症状は、夢から覚めたように治ったそうです。
<毎年一つは、新しいことに挑戦>
しかし、現代の40代くらいの女性たちは、私たちや上の世代とはずいぶん異なっているようにみえます。
前回も登場していただいた私のダイエットの先生のミユキさん。
彼女は17歳で恋愛して長女を出産、学校をやめて結婚し、20歳で長男を出産。子育てしながら歯科助手や家業の看板屋さんの事務兼職人などさまざまな仕事を続けてきました。
「天職」と本人がいう美容の世界に飛び込んでからは、バリバリ勉強していろんな資格をとって日々忙しく働き、いまや後輩を育てる立場。
17歳の母というのは、考えてみれば江戸や明治時代にはふつうのことだけれど、それは女性の人生が限られていた時代であって、現代においては少数派であり、大変だったろうなと思います。
しかも彼女は離婚も再婚も経験し、45歳にして孫3人のおばあちゃん。
ある意味“女の人生、フルコース”を生きている。
そういう人が女性を美しくする仕事に取り組んでいるわけです。
ネイルやエステをしながらのお客さんのよもやま話のなかで、「最近、女性として認めてもらえなくなった」とか、「気持ちの落ち込みがひどい」など更年期女性特有のメンタルな悩みを聞くこともあるとか。
そして、ネイルやメイクで
「気分が上がった」
「私もまだこんなにキレイなんだ」
「心のもやもやが晴れた」
と、美容を通して女性たちが元気になり、変わっていく姿を見るのが楽しいとミユキさんはいいます。
そのミユキさんが最近はまっているのが大型バイク、というぜんぜん「女らしくない」趣味。
「毎年一つ、今までやっていないやりたいことをやる」と決めている彼女は、旦那さんと一緒に大型バイクの免許講習に通ってあっというまに取ってしまいました。
かつて「女らしく」という言葉に、不自由さを感じた私とは違って、いまのプレ更年期世代の女性たちは、
性別役割に縛られずにやりたいことをやり、仕事も子育ても両立し、かつ「女らしくキレイになる」、という人が増えているのかな〜
と嬉しくなります。
最初のふみっちーの問いに戻ると、「女性性」が押しつけられたものではなく、おまけに、男性でもキレイ、というボーダレスな時代になったからこそ、今まで抵抗のあった「女らしくキレイに」に対してラクな気持ちになったということなのかな〜と自己分析しましたが、どうでしょう。
昔、「女らしさの病」とも考えられた更年期障害や摂食障害はどうなったか?
以前は、私のような女らしくないタイプは更年期症状は出ない、と思っていたのですが、とんでもない、立派に症状が出ました。
摂食障害も、女性性や性別役割分業と関係ない原因で起こっています。
つまり、社会の変化とともに、別のストレスや心理的要因が現れて、同じような症状がやはり起こるのだ、というのが私の結論です。
次回は、「更年期と女性の病気」の体験についてお話したいと思います。
続く
撮影協力:Tatsumi Okada