第4話 突然の連絡
八月に入り、連日30度越えの猛暑が始まった。緊急事態宣言下でもみなお盆休みは取るから、派遣のシフトがたて続きに入り、瞳は忙しかった。この年で夜勤もこなして風邪も引かない自分に驚くが、今日も夕方から仕事だった。
日課のランは日中暑すぎるので、できたら夜間にしたいが、遅番の日は昼間走るしかない。瞳は冷感素材のランニングウェアと、まるで農作業のおばさんみたいなUVケア帽子とマスクで、ランに出かけた。
すぐに、汗だくとなった。額から汗が滝のように流れて来る。
「このウェア、ホントに冷感素材か?」
耐えきれなくなった瞳は、早々にランを切り上げ、帰宅した。ピタピタのウェアを脱ぎ、シャワーを浴びようとしていると、滅多に鳴ることのない、家電が鳴った。
「ちっ、また営業の電話か? どこでこの電話番号、ゲットしてんだよ(# ゚Д゚)」
イライラしながら全裸で受話器を上げた。
「はい、もしもし」
だみ声で応える。
「あ、ひーちゃん? 私、悦子です」
瞳をひーちゃんと呼ぶのは肉親だけだった。
「えっ、えっちゃんおばちゃん?」
何十年ぶりかに呼ぶ、父親の妹、つまり瞳の叔母の名だった。
「久しぶり、元気? コロナになんか負けてない?」
ずいぶんと掠れているが、確かに叔母の声だった。
「うん、元気だよ。どうしたの?」
冷静を装ったが、心臓はバクバクしていた。この叔母さんから電話がかかってくるということは、もしかしてあのオヤジ・・・。
「お父さんがね」
やっぱり。心の中で言った。コロナでおっちんだか。
「うん」
「ボケちゃって・・・」
腰から力が抜けた。なんて、期待を裏切らないたぬき親父だろうか。
「ほら、コロナでこの一年、マージャンも呑み屋も行けなくなっちゃったじゃない? やることなくなっちゃって、家でぼーっとしてたら、ボケちゃったみたいなんだよ」
叔母さんの話では、病院に連れてって認知症検査などはしていない。
自分も高齢者だから今は病院には近づきたくないというのだ。
「私もね、高齢者だし、もう面倒見切れないんだよ。何年も前からほぼ住み込みで面倒見て来たけども・・・意地はってオムツもしてくれないからさ、家中垂れ流しで。拭いても拭いても・・・すごい臭いだよ」
「え、でも、その家はもう二十年も前に出てるし、両親は離婚してるから・・・」
「でも実の娘であることには変わりないだろよっ」
叔母さんの声に段々怒りの色がにじみ出て来た。
「そうはいっても、私が行ったらお父さんも喜ばないだろうし・・・」
小さい頃は可愛がってもらったが、大人になってからは外泊ばかりするハシタナイ娘として嫌われていた。
「もう喜ぶとか怒るとかって問題じゃなくて、よく分かんないみたいなんだよ」
「へ?」
「まだらボケなのか、私のことも分かる時とわかんないときがあるんだよ」
マジか・・・。
「で、じゃどうしろと?」
「このままじゃ危ないから、施設に預けたほうがいいと思うんだよ」
「あ、じゃあそうしてください」
思わず電話を切ろうとしたが、そうは問屋が卸さなかった。
「私じゃよく分からないから、あんたがこの家を処分して、お父さんを施設に預けて欲しいんだよ」
「え、私?」
「そうだよ。実の娘じゃないか。この間もボケてるくせにタバコやめないから、寝たばこしてボヤ出したんだよ。私が泊ってたからなんとか消したけど、誰もいなかったら焼け死んでたよ。近所にも迷惑かけただろうし」
確かに、実家は下町の密接住宅だ。江戸時代は長屋だったんじゃないかと思うぐらい、極狭住宅が膝をつき合わせて建ち並んでいる。しかも木造の古屋ばかりだから、燃え広がったら大変なことになるだろう。
「何かあってからじゃ遅いし、そうなったらどのみちあんたんとこに警察から電話がかかることになると思うよ」
そしたら? 私の管理不行き届きってことになっちゃうの?
背筋がぞっとした。これまで、そしてこれから先も、優雅に独身生活をエンジョイしようとしていたのに、突然・・・。
「えーっと、叔母さんの息子たち、つまり私の従弟たちはどうかな? 父の財産とその家の権利はすべてお渡しするので、父の事は煮るなり焼くなり・・・」
「ひーちゃん、もうお父さんには財産なんてないの。とっくの昔に使いきっちゃって、あとはこの家の土地だけ。うわものを解体するにもお金がかかっちゃうから、私たちにはどうにもできないの!」
ぴしゃりと言われた。
「とにかく、あとは一人娘の責任だから、明日にでもこっちに来てちょうだいね」
ガシャンと、電話は切れた。
「えーっとぅ・・・」
両手の人差し指をくっつけて、小首をかしげてみる瞳だった。