新型コロナウィルス感染症の影響で、1年延期になった東京オリンピック。
来年の今頃、どんな状況になっているのかまったく予想できないけれど、数十年後にはどう語られるんだろう?
そんなことを考えたのは、今の事態を想像もしなかった1月初めに読んだ本、『涼子点景1964』を思い出したからでした。
これは前回の東京オリンピックを背景にした長編ミステリーで、主な登場人物はメインスタジアムとして建設された国立競技場近くに住む人々。
その導入部をまとめると……
舞台はオリンピックひと月ほど前の東京。
漫画雑誌の万引きを疑われた薬局の息子・健太(小4)は、無実を証明できるクラスメイトの姉・涼子に事情を話すが、それだけで彼女は真犯人を当ててしまう。
その後涼子はクラスメイトの姉ではなく、ただの顔見知りだと判明。
涼子が姿を消したため、彼女と中学で同学年だった健太の兄・幸一(高1で探偵小説愛読者)が行方を探すが、涼子を知る人たちの話はすべて断片的だった。
たとえば
・うちのことを何も話さなかった。
・ろくに参考書も買えないくせしてテストの点はよかった。
・中三の冬休みに急に引っ越した。
・貧しい家庭らしいのに、黒塗りの大型車の後部座席に乗って千駄ヶ谷のお屋敷から出てきた。
・小学校時代の名簿では保護者名が父親らしき名前だったが、中学では母親?になっていた。
さらに幸一が地元商店会の人々に情報を求めると、“父親が行方不明になったあと母親が出稼ぎに行き、祖母と暮らしていた”という証言が。
涼子について“貧乏からいきなり裕福に?”という怪しさだけでなく、行動にも意味不明な怪しさがあると感じた幸一。
やがて彼は“涼子の父親は家族に殺されたのでは”と推理するようになるが……。
つまり『涼子点景 1964』の柱になっているのは、涼子の父親の失踪理由。(本当に家庭内で殺人が行われたのか?)
最後の最後に意外な人間関係が明らかになり、事件に絡んだ人たちの胸の内がわかったときは一気に緊張が解けたほど!
そんなスリリングな面白さだけでなく、深い読み応えまで感じたのはなぜだろうと考えてみると……
まず涼子という女性が、わかりやすい性格ではないがとても魅力的だから。
彼女は冷静で頭の回転が速い反面(最初に健太の窮地を救った経緯からもそれがわかる)、図々しかったりそっけなかったり親切だったりと謎めいている。
自然と読み手は“彼女の正体は? 多くを語らないということは父親の失踪に絡んでいる?”と興味をひきつけられるわけです。
何よりこの小説は、読後感が独特でした。
ミステリーの肝である“謎”が解決してすっきり!という気持ちにはならず、事件の背景にある前回の東京オリンピックについて、当時の世相を表す出来事について、人が何かを心の糧にして生きていくことについて……そのほかにもいろいろなことを考えさせられたのです。
まるでノンフィクションを読んだあとみたいに。
巻末の参考文献を見ても、小説に書かれたこれらのことは事実と思われますが
・競技場近くに住んでいた貧しい人々が、モダンな霞ヶ丘団地建設のために立ち退かされた。(その団地も、今回新国立競技場建設のために取り壊されましたが)
・オリンピック関連の工事中、東京を焼け野原にした空襲の犠牲者の遺骨が出てくることが珍しくなかった。
・暴利を得ようとあくどい手を使って競技場周辺の土地を取り上げる組織が暗躍し、追い詰められた人たちがたくさんいた。
などなど。
1964年の東京オリンピックについて“高度成長期の祭典”みたいなイメージしか持っていなかった私は、これらの出来事をほとんど知らなかった。(恥ずかしい!)
あの晴れやかなイベントは、戦争の傷跡の上に成り立っていたという“忘れてはならないこと”があったのに……。
忘却は時の流れの必然かもしれませんが、致し方ないという気持ちより申し訳ないという気持ちのほうが、いつまでも胸に残りました。
さて、ここで話は冒頭に戻ります。
来年無事に東京オリンピックが開催されるか否かはわかりませんが、数十年後このオリンピックはどんなふうに語られるんでしょう?
「その前にあった大事なこと――コロナとの闘いが忘れられているなんてないよね?」と思っていますが、果たして……。
今の私は、この状況が後の世で教訓として生かされていることを祈るのみです。