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かわいらしい仏像が 勢ぞろいの展覧会 「みちのく いとしい仏たち」

吉田さらさ

吉田さらさ

寺と神社の旅研究家。

女性誌の編集者を経て、寺社専門の文筆業を始める。各種講座の講師、寺社旅の案内人なども務めている。著書に「京都仏像を巡る旅」、「お江戸寺町散歩」(いずれも集英社be文庫)、「奈良、寺あそび 仏像ばなし」(岳陽舎)、「近江若狭の仏像」(JTBパブリッシング)など。

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こんにちは、寺社部長の吉田さらさです。

 

今回は、東京ステーションギャラリーで開催中(~2024年2月12日〈月・振休)の展覧会「みちのく いとしい仏たち」をご紹介します。

 

わたしは何十年もの間、数えきれないほどの仏像を日本の各地で見てきましたが、今回の展覧会では、これまで見たことのないような個性的で魅力的なお姿の仏さまにたくさんお会いすることができました。通常の仏像展を見る際はある程度の基礎知識があった方がよいですが、この展覧会は難しい決まり事を知らなくても十分楽しめます。

 

一般的な仏像展で見る国宝や重要文化財の仏像は、仏教の経典に書かれている規則に従って造られています。たとえば「薬師如来は手の上に小さな薬壺を持っている」、「十一面観音は頭の上に十一の別の顔がある」、「千手観音は千本の手を持つ」などですが、この展覧会の仏像はそうした決まりごとに縛られず、自由奔放な形をしています。

 

また、国宝や重要文化財の仏像は細かなところまで精巧にできており、きらびやかな彩色が施された華麗な像が多いです。それに対してこの展覧会の仏像は、お世辞にも立派とは言えません。しかし、簡素な中に何とも言えない愛らしさが漂っており、国宝の仏像とは違う親密感を覚えます。それは、この展覧会の仏像のほとんどが民間仏だからです。

 

 

むろん東北にも奈良や京都のような立派な寺があり、きらびやかな仏像もあります。それらの仏像は権力者がお金を出し、名のある仏師が造ります。それに対して民間仏は、村の大工さんや木地師など仏教に関する知識がそれほどない人が、地域の人々の願いによって彫ったものです。

 

祀られる場所も、お寺の荘厳な本堂ではなく、地元の寄り合い所のような小さなお堂やお社、自宅の神棚の脇だったりもします。東北の北部という当時としては辺境の地で、村人たちがひそかに拝み、大切にされてきた仏さまだからこそ、庶民の心に寄り添うようなやさしさ、いとおしさを持っているのでしょう。

 

山神像 兄川山神社 江戸時代[岩手県八幡平市]

 

東北地方で広く信仰されている山神の像。古くから、林業に従事する人々を守ってきました。神と言っても古事記に登場する日本神話の神とは違う民間信仰の神様です。

しかし、頭の上に如来特有の螺髪、眉間に白毫と、よく見ると仏像に近い姿をしています。この地域の人々にとっては、神と仏の区別よりも、ご利益があるかどうかの方が大切だったのでしょう。

 

蒼前神騎馬像 江戸時代 岩手県八幡平市某社蔵〔岩手県八幡平市〕

 

東北の人々にとって、馬は乗り物や農業の際の労力として、生活に欠かせない相棒でした。

そのため、馬頭観音など馬にまつわる神仏像がたくさんあるようですが、その中で特にこの像が選ばれて展示されたのは、馬がとりわけかわいいからだそうです。

 

観音菩薩立像 貞享5年(1688年)
松川 二十五菩薩像保存会[岩手県一関市]

 

優しいほほえみを浮かべた像が多いのも、この地方の民間仏の特徴です。

胸には丸いおっぱいもあり、観音様というよりお母さんのようですね。

 

六観音立像 江戸時代 宝積寺 [岩手県葛巻町]

 

観音菩薩はいろいろな姿に変身して人を救ってくれます。その代表的なものが、このように六体並ぶ六観音です。

 

聖観音、十一面観音、千手観音など、すべてが経典に書かれた決まり事に従って作られているので、ほとんどの場合は、どれがどの観音様なのかは一目でわかります。しかし、こちらの六観音はそれとはまったく違う自由な姿に作られています。にもかかわらずそれぞれが○○観音だとわかるのは、背中に「○○観音」と大きく書かれているからだそうです。

 

多聞天立像 江戸時代(1790年頃)本覚寺 [青森県今別町]

 

多聞天は毘沙門天とも呼ばれ、四天王の中で北方を守る役目を持っています。そのため、東北の守り神としてよく祀られているようです。

 

一般的には勇ましく戦うポーズの像が多いのですが、こちらの方はまっすぐ立っているだけ。でも、目を見開いたユーモラスなお顔が印象的ですね。頭の上に龍神、閻魔様の帽子をかぶり、胸には大国様のマークをつけて、一体で四つの神仏の役割をこなしているようです。

 

十王像 江戸時代(1643年頃)朝日庵地蔵堂 [岩手県奥州市]

 

東北地方では、閻魔様とその仲間である十王が大人気で、十王を祀る閻魔堂が村の集会場のような役割を持っていたそうです。これらの像はそのようなお堂に並んでいた十王たち。

一体一体見るととても表情豊かで、恐い閻魔様というよりは、閻魔堂に集まって茶飲み話をしていたおじいちゃんたちに似ているのではないかと思われます。

 

鬼形像 江戸時代 正福寺 [岩手県葛巻町]

 

こちらは地獄に落ちた人々を懲らしめる鬼です。

こんな鬼にすごまれてもなんだかあまり恐くなく、むしろ笑ってしまいそうです。

 

童子跪坐像 右衛門四良作 江戸時代(18世紀後半)法連寺 
[青森県十和田市]

 

作者の右衛門四良さんは村の大工さんで、このような素朴な像を百体以上も作った人です。

 

この童子は足の下の部分が丸くなっており、起き上がりこぼしのように前後に揺れる仕組みになっています。地獄の鬼や閻魔様に「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も謝る小さな子供。見ているとかわいそうになってきます。

こんな幼い子が死んで地獄に落とされるなんてことが、あってよいのでしょうか。

 

子安観音坐像 江戸時代 慈眼寺 [青森県五所川原市]

 

まだ若い少女のような母親が赤ちゃんをしっかり抱いている姿です。

寒村で子供を産み育てていくのはとても大変なこと。こういう像を作るのは供養のためであることが多いので、もしかするとこの母子も、何らかの理由で死んでしまったのかも知れません。これも見ているうちに、何とも言えず悲しい気持ちになってきます。

 

この地方の仏さまは、生きることのつらさを聞いていただき、少しでも幸せになれるようにとお願いするために欠かせないものでした。だから、仏教の難しい決まり事よりも、誰もがわかりやすい姿の方が大切だったのでしょうか。

 

 

展覧会「みちのく いとしい仏たち」

東京ステーションギャラリー

会期 (2023年12月2日〈土〉~2024年2月12日〈月・振休 〉)

詳細は公式サイトをごらんください。

 

 

𠮷田さらさ 公式サイト

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