天気予報ほど、誰もが興味を持つテレビ番組はないんじゃないかな、とよく思います。「今日も暑い(寒い)一日になるでしょう」と言われると、「いい加減にして」とぼやきながら着るものを考え、少しやわらぐとほっとひと息。
季節を問わず、雨で行動が左右されることは多いので、特に降水確率を気にする方もいらっしゃるでしょう。
私は低気圧が近づくとかなりの確率で頭痛が起きるので、そこもチェック。どうやら作家にはこのタイプの方が結構いらっしゃるらしく、原稿の進み具合に気圧が関係してくることもあるのだとか。
そういう場合担当編集者は、締切のデッドラインと天気図をにらめっこ……なんて話を聞いたことがあります。
あ、私はコーヒーを飲んだり鎮痛剤に助けてもらったりして、何とかやっていますよ(笑)。
先日も天気予報を見ながら「人っていつの時代もお天気で一喜一憂したんだろうな」とぼんやり考えていたのですが、その流れである人物のことを思い出しました。
彼の名は水上草介。梶よう子さんが描く時代小説『柿のへた』『桃のひこばえ』の主人公で、御薬園同心。幕府の施設である小石川御薬園で、薬草栽培や御城で賄う生薬の精製に携わる青年です。
つまり、彼は植物を育てることがお役目なので、お天気には人一倍敏感。もちろん、江戸時代にテレビの天気予報なんてないので、空を見上げたりして陽の照り具合や風を予測しています。
でも今も昔も、多少の対策はとるにしても、結局はそのときどきのお天気を受け止めるしかないですよね。だからつい愚痴ったりしがちですが、草介は植物を眺めながらこう考えるのです。
「春から夏にかけて、かなり空が不機嫌だった。(中略)ただ、そうした気候の乱れがあったせいか、ムラサキやハナスゲ、紅花、マンネンロウ(ローズマリー)といった初夏の花と、薄荷、馬簾菊など盛夏の花たちも一緒になって、咲いている。草木たちはこうして季節や気候と折り合いをつけながら生きているのだ」
草木も人間も“それぞれ個性や役割があるし、みんな大いなる自然のもとで懸命に生きている”と考える草介。
そんな人物だから、「折り合い」という植物が持っている柔軟性が、自然と自身にも備わったんじゃないかな……という気がしました。
とはいえ、時は江戸時代。士農工商のトップにいる以上、上から目線で当たり前の武士なのに、生き物すべてを等しくやさしい目で見つめる草介は、時に「変わり者」と言われます。
加えて“機を見るに敏”とは真逆ののんびりタイプなので、部下である園丁頭から「なにをのんきに考えていなさるんです」と言われることも。
聞き上手といういい点もあるのに、自分ではそこに気づかない草介は、苦言や小言に対していつも「確かにそうだなあ」みたいな反応。
だから周囲は拍子抜けするというか、なんとなくなごんじゃうんですね。
またやさしいのは性格だけでなく、外見も「手足がひょろ長く、吹けば飛ぶような体軀」。「水草のように芯がなさそう」という理由で「水草どの」と呼ばれ、本人も「御薬園の水路でほわほわと揺れ動く水草をむしろ愛おしく眺めている」というのだから、天然というか何というか(苦笑)。
こんなふうに書くと覇気がない男のように思われるかもしれませんが、このシリーズで何より心に残るのが、“柔よく剛を制する”という考え方。
草介の周りで起きるさまざまな問題を、彼は薬草の知恵と“偏見なしで人を見る力”でじわじわと解決し、収まるべきところへ自然と持って行くのです。
2冊とも連作短編ですが、読み進めるうちに少しずつ草介と周囲の人々の人となりがわかっていく感じが本当に心地いい!
武骨な男を描いた時代小説とは対照的な、草食系男子の時代小説、と言えるかもしれません。
またこの物語で忘れてはならないのが、草介の上司に当たる芥川小野寺の娘、千歳の存在。
彼女は娘ざかりの十七歳ですが、剣術が好きで道場に通うお転婆。若衆髷まで結うという徹底ぶりですが、気になると黙って見てはいられない性質で、草介とはいいコンビになっています。
当然ふたりの間には恋の気配が生まれますが、草介は勘がにぶく、千歳は意地っ張り。なかなか進行しないところに、『桃のひこばえ』では草介に恋のライバルが登場して……。
果たしてふたりの仲がどうなるのか、という点だけでなく、草介の並々ならぬ草木の知識が今後どう生かされていくのか、という点も気になるところ。(もしかしたら草介は、西洋の知識を吸収するためにどこかへ旅立つかも……?)
“読後感がいい”とは、本を紹介する際によく使われる言葉ですが、「これは本当にそう!」と心から言える小説です。
何となく気分がぱっとしないときやお疲れ気味のときに読むと、「今ここにいること」の意味と幸せに気づけるのではないでしょうか。