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横森理香 連載「大人のリアリティ小説~mist~」シーズン1 終わらない春 第6話 知られたくない過去

横森理香

横森理香

作家・エッセイスト。1963年生まれ。多摩美術大学卒。 現代女性をリアルに描いた小説と、女性を応援するエッセイに定評があり、『40代 大人女子のためのお年頃読本』がベストセラーとなる。代表作『ぼぎちんバブル純愛物語』は文化庁の主宰する日本文学輸出プロジェクトに選出され、アメリカ、イギリス、ドイツ、アラブ諸国で翻訳出版されている。 著書に『コーネンキなんてこわくない』など多数。 また、「ベリーダンス健康法」の講師としても活躍。 主催するコミュニティサロン「シークレットロータス」でレッスンを行っている。 日本大人女子協会代表

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佐知は従妹の亜希の死後、自分の人生を振り返るようになっていた。自室に籠り、仕事をしているふりをして過去の恋人との写真を見て懐かしく呼びかけた。「おっちゃん」・・・・・・一見、幸せそうに見える大人女子も、実はセツナイ内情があるもの。横森先生がお届けする、乾いた心を癒すマインドスチーム~mist~をどうぞ。

横森理香 小説 mist

 

第6回 知られたくない過去

 

恋愛、というものが佐知の人生からなくなって幾年月。写真の中の自分は、まるで違う人間のようだった。「おっちゃん」と呼んでいた恋人は、バイト先の客だった。イギリス留学の資金を貯めるため、東銀座のバーで働いていたのだ。

 

そこは、当時勤めていた会社から数駅という便利な立地でかつ、社の人間は決して来ない店だった。

「お疲れ様でーす」

と言って帰宅するふりをしたあと、東銀座の商店主が集まるバーに出勤していた。その事実は、誰にも話していない。

 

「イギリス留学の資金はテヘヘ、水商売で貯めたのよー」

なんて、明るく言える佐知ではなかった。特に、今の家族には。

夫の家はお堅い銀行勤めの家だったし、そこに嫁いだ身としては、最も隠したい秘密だった。だから過去の写真は実家の物置に隠しておいたのだが、エンディングノートをつけるにあたって、掘り起こしたのだ。

 

 

亜希の葬式やら四十九日で実家に通ううち、母親の目を盗んで物置を探った。そこは、何十年という要らない荷物の倉庫だった。両親の若い頃のアルバムも何冊とあったが、かびて埃だらけになっていて、手をつける気もしなかった。

 

自分の若い頃の写真は、嫁ぐまえ、鍵付きの箱に入れておいた。ロンドンのアンティークショップで買った、クラシカルな缶である。その小さい鍵は、ずうっと引き出しの隅に保管してあった。

 

「あったあった」

佐知は、他の荷物が崩れないようにそっと秘密の缶を取りだし、埃をぬぐった。亡き父の建てた家の庭は、半世紀にも及ぶ庭木と雑草で鬱蒼としていて、その中にある物置だ。湿気で、缶も少し錆びている。

「開くのかな? よいしょっと」

佐知は小さい鍵でその缶をこじあけた。

「開いた開いた」

中を覗くと、写真の保存状態は思いのほかよかった。タイムトラベルが始まった。

 

 

佐知は持ち帰った秘密の缶を、自室クローゼットの奥にしまってあった。もちろん、人のクローゼットなど探る家族ではなかったし、そこは実に安心な場所ではあった。しかし、もし自分が死んで、遺品を処分することになったら、誰かの目には触れることになってしまうだろう。

 

34歳も年上の「おっちゃん」と酔って戯れている写真など、夫にも子供たちにも、死んでも見せたくない。綺麗に着飾るお店の写真ならまだしも、「おっちゃん」と温泉旅行に行ったときの、ふざけて浴衣の前をはだけ合っている写真もあった。顏は二人とも、酔っぱらって真っ赤だ。

 

「ぷっ」

おっちゃんは楽しい人で、クリスマスパーティの時、パーティ用のペーパーハットをかぶって、吹き戻し笛を吹きながら変顔している写真も出て来た。本当におっちゃんとは、楽しいだけの時間を過ごした。もちろん、不倫だったが。

「・・・・」

 

老舗乾物屋の三代目で、粋な遊び人だった。おっちゃんの家は築地界隈にビルもいくつか持っていたので、バブル景気で散々贅沢もさせてもらった。酒飲みの美食家で、佐知の舌を肥えさせたのもおっちゃんだった。

おっちゃんは筋金入りの江戸っ子だから、寿司と蕎麦、鰻と焼き鳥は極めていた。しかし美食がたたって痛風で糖尿だったおっちゃんは、佐知と遊んだ時代が最後で、死んでしまったのだ。

 

まさにピンピンコロリ。佐知が勤めていたバーにも、前夜まで飲みに来ていて、翌朝、寝室で亡くなっていたという。バーのママが月末にツケの請求をした際、奥さんから告げられた。

「おっちゃん・・・」

 

佐知は懐かしさでいっぱいになった。二人とも遊びのつもりだったが、慣れ親しんだ二年間、二人は愛し合っていたのだ。その確信は、今でもある。おっちゃんには色んな女性がいたが、佐知が一番愛されていたという自信もあった。

妻よりも愛されている女、というコピーをどこかのブランド広告で見たことがあるが、年取った金持ちの男の真実だろう。佐知は当時、ありとあらゆるブランド物をおっちゃんに買ってもらい、着飾っていた。

 

それだけではない。付き合っていた頃、たびたびおっちゃんは、

「バイト代だけじゃ足りんだろう」

と言って、佐知に小遣いをくれていた。イギリス留学資金は、そうやって貯まったのだ。おかげで、ロンドンでもいいフラットに住め、いい語学学校に通うことが出来た。それが佐知の「今」を作っているわけだから、今でもおっちゃんの愛に支えられている気がするのだった。

 

 

しかしその写真を、家族に、特に娘の花梨には見られるわけに行かなかった。死んで墓場に持って行きたいもの、それは、おっちゃんとの写真だった。夫とは、あっさりした性格もあって、「同士」のような付き合いだった。おっちゃんとの関係は親子のようであり、年取った男の包容力と情の厚い性格のせいで、非常に濃いものとして、佐知の心に刻まれている。

本当に愛していた人は誰か、と自問したら、それはもしかしておっちゃんかもしれなかった。佐知も若く、一番美しい時であり、恋愛体質でもあった。異性を愛する力が、もっとも高かった時代だったのだろう。

 

「おっちゃんの子供、欲しかったな・・・」

佐知は心の中で言った。絶対可愛かったはずだ。もちろん、そんなことできなかったが。イギリスに行く前、おろしたのだ。おっちゃんの子供だった。おっちゃんは知る由もない。なにしろ、死んでいたのだから。

 

 

しかし今でも、あの時の子が生きていたら・・・と考えることもある。産んでいたらシングルマザーとなって大変な苦労をしただろうし、イギリスにも留学できなかった。今の仕事にもつけなかったし、安定したいい生活もできなかっただろう。

佐知は今、エリートの夫と娘に囲まれて、幸せなはずなのだ。長男は謎の生活をしているが、親に迷惑をかけるような子でもないし・・・。平凡だけど、この幸せを守るためには、過去は葬らねばならなかった。

 

「バイバイ、おっちゃん・・・」

佐知は仕事用のシュレッダーで、おっちゃんとの思い出を断裁した。写真なんかなくても、心の中に生き続けるはずだ。

夢で、夢で逢いましょう。

 

 

その夜、早速おっちゃんが夢に出て来た。えらく生々しい夢だった。当時のおっちゃんと、今の佐知がセックスをしているのだ。いや、しようとしている。が、できない。おっちゃんは勃たず、佐知は濡れず。なんとかつながろうとしているが、果たせない。その上、二人とも気持ちが、いま一つ盛り上がらないのだった。

「濡れず、勃たず・・・ガッハッハー!」

夢の中で、おっちゃんは豪快に笑った。佐知は、笑えなかった。

横森理香 小説

イラスト/原知恵子

 

これまでのお話こちらで読むことができます。

次回は、4月15日公開予定です。お楽しみに。

 

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