前回、卵巣から脳が出てきた、という話を書いたのだけれど、「卵巣に脳を育てていたノンフィクション作家って、そもそも誰?」という疑問が沸く人もいるだろう。もっともなことだ。なので、ここでは、わたしがライターになったきっかけから話していこうと思う。
わたしは30代の後半でライターに転職した。最初から、本を書こう、ノンフィクション作家になろう、と強く決心していたわけではない。そのころ、わたしは夫の転勤で引っ越しをしたのを機に日本語教師をやめて、しばらく仕事をさがしてぶらぶらしていた。
そんなある日のこと、ダイエーのチラシでサンマ大安売りの文句が目に飛び込んできて、そこだけが、ぴかっと光り輝いてみえたのだ。サンマの安さに感動したわけではない。世の中には、どうやら言葉だけ書いてお金をもらっている人がいるらしいということを発見した運命の瞬間だった。どうやったらそういう仕事に就けるのか、いろいろ調べてみて、ライターズスクールに入ることにした。そこに通えば、仕事を紹介してもらえるシステムだったからだ。
それが、どこでどう転んでノンフィクション作家になってしまったのか、実は、自分でもよくわからない。わからないけれど、ふりかえってみて、あれがノンフィクション作家になるきっかけだったな、という転機について語ることはできるように思う。
ことの始まりは、ライターズスクールでの会話だった。なにを思ったのか、スクールを取り仕切っていた教務の女性が、わたしの顔をみると、やぶからぼうにこう言いだした。
「佐々さん、ノンフィクションを書くって顔に描いてある」
断っておくが、彼女がスピリチュアルな人ではないことは、長いつきあいなのでよくわかる。たぶん、わたしの話し方や、性格から、傾向を見抜いたのだろうが、それにしたって、とんだ喪黒服造である。もちろん、そんなことでノンフィクションを書こうなどとは思わない。彼女の、あまりの思いがけない言葉に、右の人差し指で自分の鼻を指すと、「へっ?(わたしですかい)」と、おどろき、あきれた。そのときは、〈なに言ってんだろうな、この人は……〉と思って、そのまま右から左へ聞き流して、忘れたのである。
それから数日たったある日、わたしは地元の回転寿司屋で遅い昼食を取っていた。
店はタッチパネルで寿司を注文する画期的なシステムを導入している。わたしは、何度かその店に入っていたので、苦もなくタッチパネルを操ることができたが、隣に座っている派手な女性は操作に悪戦苦闘しているようだった。茶髪で、真っ赤なネイルを施した30代前半とおぼしき、きれいな人だ。
すると、しばらくして注文の品の到着を知らせる明るいメロディーとともに、サーモンの皿が列をなして、わたしの前を通り過ぎると、隣の女性のところに到着した。4皿、あるいは5皿はあっただろうか。きっと、使い方がよくわからなくて、タッチパネルを連打したに違いない。彼女は隣で「うわっ」と声をあげた。うん、気持ちはわかるよ、お気の毒に。見て見ぬふりをしていた罪悪感も手伝って、わたしは思わず、彼女に向かって、「ちょっと食べてあげましょうか」と声をかけていた。
彼女がほっとしたように見えたので、わたしは自分に一番近くに置かれたサーモンの皿を引き寄せて、そのついでに、タッチパネルの使用法を教えてあげた。どこにでもある、とてもささやかな親切である。はい、おしまい。と、普通の会話なら、そこで終わるはずだった。
しかし、わたしがすっかり満腹になり、お茶を濃く入れてガリをつまみにくつろいでいると、何を思ったのか、突然、彼女は自分の身に起きた、あるできごとについて、話しかけてきた。
「アタシさあ、昨日カレシに拉致られてぇ、山ん中連れていかれて、重機で穴掘られて、そこに埋められたんだよね。アタシくやしくてさぁ。ぜってえこんなところで死ねないって思って、穴の中から這い出てきたんだよね」
「……えっ?」
彼女は、赤く塗られた爪をチェックしている。それはたしかに先端が剥げていた。
わたしは、とっさにふりかえると、店内を用心深く見回した。どっきりカメラなんじゃないかと思ったのだ。だって、じつにうまくできた筋書きじゃないか。ノンフィクションライターに向いていると前振りしておいて、ノンフィクションから飛び出してきたような美女が、わたしに向かって壮絶な人生を語り始める。よく仕組まれた悪い冗談だ。ただ、ひとつこの推理には難点があって、そんな大がかりなどっきりをわたしに仕掛けて、得をする人はだれもいないということだった。
わたしたちの前を、ちいさなモーター音とともに、いかや、えび、なっとう巻きなどの、寿司が、コンベアーに乗せられて、通り過ぎていく。SFじみていてシュールな光景だった。いつのまにか、店内には人もまばらになり、午後のけだるい雰囲気がただよっていた。
しばらく待ったが、赤いヘルメットをかぶり、「どっきり大成功」と書かれたプラカードを持ったおじさんは一向に現れない。
彼女は、「アタシ、死ぬ前にどうしても、食べたかったんだよね。お寿司」というと、つやのあるサーモンの寿司を、口のなかに放り込んだ。なにか吹っ切れたすがすがしさである。もういくつも食べたであろうサーモンをなおも愛しそうに頬ばる彼女に、わたしは思わず見惚れた。地獄を見てきたからこその明るさが、わたしの奥底に眠っていた「なにか」を揺さぶった。
この日、わたしの隣に、見知らぬ女性が座り、壮絶な過去を話しはじめた。その人は、暗い穴のなかから這い出して、回転ずしに来ると、タッチパネルの操作を間違い、サーモンを大量に注文してしまった。そして、顔に〈ノンフィクション〉と書いてある女に、自分の身の上話をはじめた。
そのときわたしは、ああそうか、と心の奥深くで了解するところがあった。なにかがわたしのところに訪れたのだ。あるいは、なにかに捕らえられてしまったのかもしれない。シチュエーションは桜の舞い散る公園でもなく、気持ちのいい風の吹く神宮球場でもなく、地元の回転ずし屋だったけれど、わたしはこれから、こうやって人の話を聞いて、ノンフィクションを書くのだろうな、と思った。
そして、わたしはほんとうにノンフィクションを書き始め、DVで壮絶な暴力を受けている人などの駆け込み寺を描いた「駆け込み寺の男」を上梓、数年後、「エンジェルフライト 国際霊柩送還士」で、開高健ノンフィクション賞をいただき、ノンフィクション作家という肩書で活動することになったのである。