本腰を入れて病気を治そうとすると、以前行った産婦人科は電車を乗り継いでいかねばならず、通うのが大変だ。処方された薬がからだに合わなかったのも、なんとなく遠ざかる理由となった。そこで、今度は地元の産婦人科に行くことにした。これで薬が合わないときも、気軽に相談に行ける。
「貧血がひどくて、とにかくそれを何とかしてほしいんですよ」
そう医師に訴えると、さっそく精密検査をしてくれた。
二週間後に結果を聞きに行くと、「卵巣嚢腫がありますねえ」と告げられた。これは前の産婦人科では見つからなかった病気だ。悪性のものではないらしく、医師の声も心なしか明るい。
直径7センチほどに成長しているという。もう少し小さければ、おなかのなかに入れておいてもかまわないのだが、これぐらいの大きさになってしまうと手術の必要があるそうだ。先天性のものらしく、長男を生んだときには、すでに卵巣にあったのではないかということだ。
右の卵巣が腫れているのは、画像にはっきり写っている。まったく自覚症状はないし、若いころからおなかのなかにあったというのに今までこれが原因で腹痛を起こしたこともない。このままにしておいてもかまわないような気がしたが、医師は「放っておくと、茎捻転(けいねんてん)を起こして緊急手術などということもあります。この機会に取ってしまいましょう」と力説する。長期の出張も多いので、やはり、手術しなければならないか。
この医師の治療方針は、①卵巣、子宮とも残したまま、②患部のみの切除をしましょう、というマイルドなものだった。
彼は卵巣と子宮の絵を書くと、右の卵巣をぐるっと線で囲んで説明する。わたしはそれを神妙な気持ちで見つめていた。自分のからだの中に入っている臓器にもかかわらず、卵巣というものの存在をまったく意識したことがなかった。卵巣って、こんな形をしているのか。
このなかに、人体のかけらである髪の毛や歯が入っていることもあるのかと思うと、つくづく不思議だった。
この世とあの世があるのなら、卵巣のなかにも、この世とあの世の境界があって、この世に生を受けそこなったひとつの「死」が厳然と存在しているような気がした。
わたしの弟にあたる子を死産した母のことをちょっと考え、この卵巣を通って生まれてきた息子ふたりのことも頭をかすめた。そして、ちっぽけな卵巣から排出された、気が遠くなるほど膨大な卵子が生命を得ることなく消えていったことに思いを馳せる。
今、わたしのからだのなかに存在するのは、代々受け継がれてきた臓器、つまり、卵巣を通って生まれてきたにんげんの、卵巣を通って生まれてきたにんげんの、卵巣を通って生まれてきたにんげんの、卵巣を通って生まれてきたにんげんの卵巣。三面鏡を合わせたときによく似た、無限の通路が出現する。
「簡単な手術ですよ。卵巣嚢腫を取るついでに、ちいさい子宮筋腫がたくさんあるので、それも取りましょう」と、この先生。ずいぶんノリのいい口調で言う。こういうときのわたしは、どういうわけだか、妙に思い切りがよくなり、「煮るなり焼くなり、とっととやってしまってください」という心境になる。昔からこういうときの思い切りだけはよかった。
要は水泳の飛び込みと同じだ。ぐずぐずしていると怖くなる。決断してしまえば、すべては因果の流れに乗り、あっという間に過去となるはずなのだ。もっともそれは自分のからだについて、深く考えていない証拠でもあった。
わたしは痛みに強いタイプだと、おさないころから周囲に太鼓判をおされていた。けがをしても泣きもしないので、大人からは「将来大物になる」と褒められた。初産は逆子で自然分娩だったし、背中には腰の手術をしたときの15センチの傷があるが、どちらのときもケロリとしていると看護師たちに驚かれた。
もっとも、今回、動揺しなかったのは年齢も影響しているのだろう、あと数年で卵巣の役割が終わる世代でもある。精神的なダメージも少なかったのだ。手術に対する抵抗がなければ話も早い。入院の日取りがその場で決まった。
しかし、あとで家に帰ってよくよくこの病気を調べてみると、卵巣嚢腫と貧血は直接の関係ないようで、貧血に関連するのはむしろ子宮筋腫にあるようだった。医師は子宮筋腫については、ほとんど言及することなく、ついでに取りましょうという言い方だった。
〈貧血で受診したんだがなあ……〉
卵巣嚢腫の手術のことばかり言っている医師のことがちらりと気になった。しかし、雑事に追われて、すぐに忘れてしまった。
(後編につづく)