財産相続で揉めるのは富裕層より庶民の方が多い……そんな意外な事実を知ったのはマネー連載『女50歳からのキラキラ老後計画』を担当しているときだった。
連載の第9回『意外?相続で揉める家の財産は○○円以下が多かった!』をお読みいただけるとわかるのだが、裁判所に持ち込まれる遺産トラブルに関する案件のうち33%を占めているのは、その総額が最も低い層である。
(ちなみにこの総額を〝5000万円以下〟まで広げると全体の75%にもなる。持ち家と預貯金がちょっとある家庭であれば、だいたいはここに当てはまる。つまり一般的な経済レベルの家庭ほど、遺産相続で揉めているということがよくわかる数字である)
それを知って、相続についての遺言書は作っておいた方がいいと思うようになった。
そんなこともあり、死後事務委任契約書をNPO法人Aと結ぶ準備に入ったとき「そうだ、この際遺言書も一緒につくっちゃったほうがいい」と閃いた。
遺言書といってもに家にあった紙やノートに走り書きしたメモ書きのようなものから、弁護士や行政書士など〝士業〟といわれるプロたちに依頼するものもある。
このブログを書いている現在は、
・本文、日付が本人の自筆で書かれ、署名捺印がされているもの(財産目録だけはパソコン、ワープロで書いてもOK)
であれば自筆証書遺言として扱われる。
ただその場合、信頼できる誰かに遺言書の存在を生前知らせておく、または残された人が家の片づけをしたときに見つけやすい場所に置いておくなど工夫しておかないと、最悪の場合誰にも気づかれず捨てられてしまう(または悪意がある場合は破棄される、とか)心配もある。捨てられるまたは破棄される、とまではいかなくても見つけてもらうまでに時間がかかる可能性も高い。そういったリスクを避けるため、去年から法務局が自筆証書遺言を保管してくれる制度もできている。
私について言えば、とにかく〝自分が死んだらあらゆることがスムーズに処理され、親戚の誰にも面倒をかけない〟が一番の願い。そしてそれを完遂するには大きな心配ごとがあった。
犬たちのことだ。
うちには犬が2頭いるのだ。
とても悲しいことだが、以前とある動物愛護のボランティア団体のお手伝いをしていたとき、飼い主が亡くなり、誰も面倒を見てくれる人がいない犬や猫たちが保健所に持ち込まれている現実を知った。だから私の死後、うちの犬たちの生活が保証されるよう、きちんとした遺言を残す必要があった。そのために依頼した〝プロ〟が前回のラストに登場した行政書士Tさんだった。
法律上、犬は私の単なる所有物としか扱われない。現行法では、犬に金融資産や不動産を相続させることはできない。
私が前回、死後のことを一切任せたと書いたNPO法人Aは、あれだけたくさんの痒いところに手が届くようなサービスを用意しているのに、なぜか残されたペットのその後のことにはほぼ何も対応しない。Aについてはこの点が本当に残念だった。
また死亡後は迅速に執行してもらいたいので、遺言の種類は自筆証書遺言ではなく公正証書遺言(公証役場で公証人に作成してもらうもの。裁判所での検認が不用なので死亡後すぐに執行される)を選択した。
長年付き合っている相棒または犬好きのいとこに財産を譲り、代わりに犬の世話を頼むことも最初は考えたのだが、悩んだ末にやめた。
やめた理由には今回は触れないが、〝パートナーや親類縁者に一切頼ることなく、犬の命と生活を守れる遺言書〟を作るのは本当に大変だった。
遺言執行者はTさんにお願いし、遺言の内容が固まった段階で相棒にはTさんの名刺のコピーを渡し、説明しておいた。
ほかにはNPO法人Aにも遺言案は見せ、Aと結んでいる契約に遺言書の内容が抵触しないかどうか、すりあわせておく作業も必要だった。
遺言書の作成にかかったのは、労力だけではない。
行政書士への依頼料、公証人への手数料、証人(公証役場で登録する際、証人の立ち会いが必要。知り合いに頼んでもOKだが、私は他の人に遺言内容を知られたくなかったのでTさんの事務所のスタッフに来てもらった)への報酬などそれなりにお金も使った。
だから、やっと公証役場で遺言を登録し、Tさんと一緒に役場の入っているビルを出たとき、「これでもう、いつでも安心して死ねる!」と声に出して言わずにはいられなかった。
遺言書作成という終活最後の大仕事を終えた私は、終活が完了したという開放感に浸りながら街をぶらついた。その日は会社から午後半休をもらっており、さぁ何に時間を使おうかなとウキウキした。
公証役場そばの大型書店の棚をじっくり吟味して本を買い、ドトールコーヒーで一息つき、目の前にあった古い駅ビルに何となく入った。
小さな看板が目に飛び込んできたのは、そのときである。
占いの館○×△→
20分3000円~
私は占いフリークではない。
けれどその日は「そういえば最近、占いって行ってないな。さっきお茶も飲んじゃったし、時間を潰すのにいいかも」と思ったのだ。
開け放たれたドアから店の中をのぞいてみたら、自分と同世代とおぼしき女性がひとり、暇そうにスマホをいじっていたので声をかけた。
「20分でお願いします」と言い、用意されている紙に姓名と生年月日、生まれた時間を書いて渡す。
「何を見ましょう?恋愛運?」と真っ先に聞かれたので「年齢的にちょうど人生の折り返し地点になったので、今後どうしたらいいのかなと思って」と答えたら、なぜか困ったようなイラっとしたような顔をされた。
占い師は、用紙に書いた私の生年月日とか姓名を見ることもなく「そうですねぇ、特技は何ですか?自分が人より秀でてると思えるところ。たとえば英語が話せるとかダンスが得意とか。英語が得意なら海外で暮らしてみる、なんていうのも考えられますよ」と言う。
その口調は、昔訪れた大学の就職相談室を思い出させた。
……違う。
これは占いではない。
私は相談に乗ってもらうためにきたのではない。
そこで「今後の運気の流れを見てもらえますか?人生の後半線の運気はどんな感じでしょう」と依頼の仕方を変えてみた。
相手はここで初めて私が書いた情報のどれかをノートパソコンに打ち込み、しばし画面を見つめた。
そして「あぁ…」と唸ると「去年はとても大変な思いをしたんじゃありませんか。大変……というか、かなり辛いことがあったでしょう。よく耐えましたね。でもそれより辛いことはもう起こりません」と言った。
父が亡くなったことを指しているのかな、と思った。
占い師はそのままパソコンの画面を見ながら続けて言った。
「そして今までの人生を清算する年でもありましたね。
すごい、ほんとにきれいさっぱり清算したって出てる……で、これからは新しい人生が始まります」
!
私は父が亡くなったことをきっかけに、自分だけのお墓を用意し、NPO法人と死後事務委任契約をはじめとする3つもの契約を結び、自分が死んだときに犬たちの生活を保証できるよう他人から見たら風変わりともいえる内容の個人財産遺言書も作った。その過程は前々回、前回でも紹介したが、自分の人生に大事なものは何かをあらためて考えて、手放すものと残すものを選んでいく作業=清算であった。
だから占い師の言葉にかなり驚いた。
そして「全ては必然だった。大変だったけど、自分の思いを優先してよかった」と納得した。
それにしてもこのパソコンに入っている占いソフトがあれば、いつでも自分で占えるのでは……。
一体何というソフトを使っているんだろう?
相変わらずパソコンの画面を見つめたままの占い師は「これからの運気ですが……50代半ばまでは×××。そして60歳からは○○○と出てますねぇ……」と、今度は未来のことを話し始めた。
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以上が私の〝50代からの明るい終活〟の顛末である。
50代から終活を始めるなんて早いのでは、と思う人が多いだろう。
けれど気が変わったら遺言書は書き変えればいいし、死に装束ももっと素敵なものが見つかったら差し替えればいい。「認知症になったときは日本橋の鰻屋に月一回連れて行ってほしい」とNPOに依頼した(前回)が、それだって気が変わったら「銀座の三笠会館のイタリアンに季節ごとに連れて行って」などに変更可能だ。
とはいえ、私だって主治医から持病が悪化していることを宣告されなかったら、そして父の葬儀でお寺とのおつきあいの大変さや葬儀のしきたりと費用に辟易しなかったら……終活に取りかかっていなかったかもしれない。
人生には何事も適齢期(=よきタイミング、巡り合わせ)があると思っている。
そういう点で私の場合、終活のよきタイミングは50代にやってきた。
50代、60代、70代、80代……この記事を読んでくださった方にも、いずれそれぞれの〝よきタイミング〟がくるはずだ。
そのとき、私の終活体験がちらっとでも参考になれば、とてもうれしい。