「口もとを意識するようになると、ハッピーホルモンがどんどん増える!」と、人気の連載「ご機嫌な口もと」を執筆しているのは、歯のホワイトニングのスペシャリスト、石井さとこ先生です。
石井さとこ/歯科医・口もと美容スペシャリスト
「ホワイトホワイト デンタルクリニック」院長。歯のホワイトニングを日本で広めた第一人者。明るく、フレンドリーなキャラクターから「さとこ先生」と呼ばれ親しまれている。女性歯科医師ならではの、歯と体を美しく保つための食事や、歯が美しく見える口元メイクについてのアドバイスに定評がある。女優・モデル・タレント・アナウンサーなど、多数のビューティーセレブからの信頼も厚い。2005年よりミス・ユニバース・ジャパン ナショナルディレクターからの要請で、オフィシャルサプライヤーとして歯をプロデュース。
怒涛のように過ぎた20代
ご両親も母方の祖母も歯科医という家に生まれた石井さとこさん。娘さんも歯科医になり、女系4代歯科医に。しかし、石井さんは大学生になるまで、歯科医にはなりたくなかったのだそうです。
「実家は東京の下町の歯医者で、夜中に『顎が外れた』という患者さんが来れば診察する、まるで24時間営業のコンビニのような歯医者だったんです。とにかく忙しくて、それを見ていたから『絶対に歯医者にはなりたくない』と思っていたんですね。弟が実家を継げばいいと。
大学は医学部を目指していたのですが、両親は大反対。とくに父は私に歯科医になってほしかったようで、『医学部の受験料は出さない!』って言われてしまって。医学部の受験料って、高いんですよ。高校生の私は自腹で受験料を払えず、仕方なく歯学部のみを受験することになり、そのまま歯学部へと進みました。最初は授業が本当に退屈だったのですが、3年生ぐらいから人体にかかわる本格的な授業が始まるととたんに面白くなって! この道に進んでもいいな、と思うようになりました」
卒業後は「とにかく実践を積もう!」と地元の歯医者さんで診療したり、夜間診療を手伝いに行ったり。歯科医としての基礎を猛スピードで築いていったという石井さん。
「27歳で、同じ歯科医と結婚して、28歳で出産。『産むなら早く生んで、早く仕事に戻ろう!』と思っての出産だったのですが、なんと双子だったんです。これは想定外で、双子の育児と仕事の両立は“鬼気迫る”状態でしたね」
出産後は1年半で仕事復帰。歯科医の先輩に「2年経つと機械も治療法もどんどん進化してついていけなくなるから早く復帰した方がいい」というアドバイスをもらってのことでした。
「実家にも随分世話になりました。子どもの面倒を見てもらいながら、私も診察をしたり。娘たちが幼稚園に入るころ、夫婦で『石井歯科クリニック』を開業したんです。現在、私はホワイトニングを専門としていますが、当時は一般治療や矯正も行っていました。
仕事中、育児をどうするかと悩み、クリニックの一角を子どもの遊び場にしたんです。ちょうど、ママ友たちも診察に来がてら子どもたちを遊ばせられるからいいかな、と。私はまだ若かったし、抜歯の症例をたくさんこなしたい、と夜の11時くらいまで仕事していたこともあって、クリニックで宿題させたりしてました。娘たちに『お腹すいた』とよく言われましたね。『あのときの母ちゃんは怖かった』と今でも言われます(笑)」
そんな石井さんですが、夏は一か月、お嬢さんたちとオーストラリアへ。娘たちのために、夏休みの時間をしっかり取っていた優しいママでもありました。
「習い事は“本人がやりたいこと”をやらせようと思って。あれこれやらせるには私に時間がないというのもあるのですが、二人とも英語が好きだったようで、小さいころから毎年夏はオーストラリアへ行くようになりました。私はとにかく仕事を片付けて、パパはちょこっと来るだけ(笑)。本人たちがやりたいと思うことは、親も本気になってあげないといけない、と思ってたんですね。おかげで英語には困らないように育ち、ひとりは歯科医に、もうひとりはWebの世界に進みました」
最近は、オーストラリアに行ったときはマラソン大会にも出場しているのだそうです。
歯を「美容」のジャンルで伝えたい!
仕事も育児も全力投球、いやそれ以上に奮闘してきた石井さんですが、ホワイトニングの道に進んだのは、ある日のセミナーがきっかけでした。
「20年位前は“ホワイトニング”という言葉はまだなくて、ブリーチングって言っていたのですが、アメリカで“レーザーホワイトニングというものが流行り始めているということは聞いたことがありました。ある時、審美に特化している歯科医向けに、レーザー機器の会社がセミナーを行うと聞きつけて、私も行ってみたんです。アメリカ帰りの先生方がお話するセミナーです。その日は猛吹雪の日で、歯科医の友人たちも誘っていたのですがみんなキャンセル。あれは運命を分けましたね(笑)。
そのときに、歯の美白についての講義などを受けたのですが、“これを世に知らしめるのは私しかいない!”と確信したんです。男性ではダメ、女性が美容の文脈で語らないと伝えられないと。あのときの感覚は今でも覚えています。
実際、クリニックには着色歯の患者さんが多数いらっしゃいました。結局、子どもたちの教育費などに貯めていた貯金700万円を解約し、レーザーの機械を買ったんです。悪いママですよね」
これが一つ目の転機。ここから、歯のホワイトニング専門医、口もと美容スペシャリストとしてのキャリアがスタートします。
「クリニックに雑誌の方が取材に来ていただくことはあるのですが、掲載されるのは『健康』のジャンルばかり。私は『美容』のページにどうしても載せてほしかったんです。歯のホワイトニングは健康にも寄与しますけど、美容でもあります。そうしたら、ある女性誌がとうとう取材に来てくれたんです。私は“ホワイトニング”という言葉を使ってほしいとお伝えしました。これが2つめの転機です。ブリーチングって、脱色して歯がガサガサになるようなイメージだったので。すると、みるみるうちにホワイトニングという言葉がブームになって、いろんな女性誌が取材に来てくださるようになって。私の“これだ!”という感覚は当たったわけです」
そして、ある日ひとりのモデルが来院します。
「長谷川理恵さんがクリニックに来てくださいました。歯はもともときれいな方なんですが、彼女のヘルシーで美しいイメージも相まって、ますます歯のホワイトニングが注目されるようになりました」
そこからは、モデル、女優、タレントなど、予約が入らないほど人気のクリニックに。それはやはり、人の印象は口もとの美しさがとても重要だ、ということの証でもあります。今をときめく芸能人の方々が「さとこ先生」と頼りにするのは納得です。
ミス・ユニバース・ジャパン ナショナルディレクターからも“口もと”を託された
石井さんが40代半ばの頃。第3の転機が訪れます。当時、ミス・ユニバース・ジャパン ナショナルディレクターだったイネス・リグロンからのオファーです。
「その頃、表参道にイネスの事務所があったんです。私がホワイトニングの専門だと噂に聞いたようで、そこにいきなり『来て』と言われ(笑)。そのまま近くのバーに連れていかれて、イネスの考える美について話を聞きました。私も全身の美と口もとがいかに重要かという話をして。口もとに自信があると、立ち方から笑い顔から口角の位置から、全然変わってくる。自信をもって笑える。歯を出して笑えると、健康美が引き立つ。激論を交わしましたね」
そして、イネスが見込んだファイナリストたちを託された石井さん。歯が白くなるにつれ、彼女たちの自信が輝きだすのが手に取るように分かったそうです。
今日も”ネタ帳“を手に、情報収集と勉強の日々
OurAgeの連載では、「レロレロエクササイズ」「ぴよぴよぷー」など、キャッチーな言葉が飛び交い、私たちを「口もと美容」の世界に誘ってくれる石井さとこ先生。
「歯周病や虫歯対策はもちろん大事なのですが、癖や生活習慣で人間の体って変わってくるんです。だから新しい情報には常にアンテナを張っていますし、SNSもチェックします。みんなどんなことで悩んでいるのか、患者さんと同じ目線で考えたい。身近な情報と使えそうなメソッドはどんどん紹介したいし、口もと美容は続けることも大事。続けられそうな方法を考えて、できるだけ簡単にして『ぴよぴよぷー』といった名前をつけたりしています。先日も顎関節の講習会があって、『真上耳引っ張り』というネタも仕入れてきました」
今回のインタビューのためにネタ帳からひとつ。とっておきのエピソードを最後にご紹介します。
「私がまだインターンの頃、90歳近いおばあさまが来院されました。有名な呉服屋さんの女将さんで、実家の患者さんだった方です。その日は歯を入れると聞いていたので何気なく『金歯ですか? 銀歯ですか?』とお聞きしたら「何言ってるのあなた! 歯は白くなきゃダメでしょ!」と怒られまして。90歳の方に『棺桶に入るまで、歯は白くなきゃだめだ』と言われ、ハッとしたのを覚えています。その方はいつも身だしなみをきちんとされ、お風呂上りに着物でいらっしゃるんです。お顔にもちゃんとお粉をはたいて。感銘を受けましたね」
生きていく力は口もとに出て、知性も口もとに現れる。そんなお話も聞き、身を正すばかりでした。
「人は、口もとに自信が持てるようになると自然と笑顔になります。笑顔になると免疫力が上がって、ハッピーホルモンのセロトニンが出てくるようになります。だから自信をもって笑顔になれるように、自分をどんどん更新していけるような情報をお届けしていきます」
石井さとこ先生の連載「ご機嫌な口もと」はこちらから
著書『美しい口もと』好評発売中
★石井さとこ先生のクリニック、 ホワイトホワイト(恵比寿店、ルミネ新宿店、ルミネ有楽町店) http://whitewhite.jp/
撮影/山田英博 取材・文/島田ゆかり