牧野富太郎は尊敬すべき「植物おたく」。もっと知りたい~と興味がムクムク湧き上がる
朝ドラ「らんまん」が話題ですね。念のために説明しておきますと、日本の植物分類学の父といわれる牧野富太郎の人生、博士の植物への情熱を描いたドラマです。
長年ベランダガーデニングを趣味とする私も当然わくわく見ています。
そもそも私は昔から、好きなものに没頭する「おたく」っぽい人に憧れがち。以前も書いたのですが、昭和の名深夜番組「カルトQ」の一般出演者(その分野に笑っちゃうほど詳しい回答者たち)に、毎週どれだけ尊敬のまなざしを向けていたことか!? 昭和世代のみなさん、わかってくれますか?
貧しい長屋暮らしをものともせず、学歴しばりで研究室に受け入れられなくても前に進み続け、植物採集と分類、植物画に情熱を注ぐ富太郎(ドラマでは万太郎)を見ていると、
「植物が好きでも、私にはここまでできない」→「まじリスペクト!」
となるのです(単純)。
実は数年前、高知市に「高知県立牧野植物園」という素晴らしい植物園があるという記事を目にし、いつか行ってみたいと切り抜きを取ってありました。2月頃、ふと「牧野富太郎の朝ドラが4月にはじまるよね。5月にコロナが5類に移行するし、高知が混んで飛行機やホテルの予約ができなくなるかも!?」と心配に。植物好きの定年女子先輩2名を誘って、早割予約をしましたよ。
実際に旅をしたのは多くの花が咲く6月初旬の1泊2日。朝ドラでは4~5月頃に佐川(さかわ)で子供時代を過ごした万太郎が描かれ、私はもう佐川に行ってみたくてうずうず。どんな場所で育つと、あんな植物好きになるんだろう、と肌で感じたかったのです。佐川町は高知市から車で一時間近くかかりますが、本当に行ってよかったですよ。
「らんまん」幼少期の重要な舞台「金峰(きんぷ)神社」。150段の急な石段を上ってみたら
1番よかったのが佐川町の「金峰(きんぷ)神社」です。
ドラマで万太郎が、あのディーン・フジオカ演じる坂本龍馬らしき天狗と出会ったり、体の弱い母親からバイカオウレンの花が一番好きだと伝えられるシーンなど、重要な場面に何度も登場しました。
神社自体はロケには使われていないそうですが、行ってみると、ドラマの雰囲気そのもの。高い木々に囲まれ、厳かで、もう少し暗かったらいかにも天狗が出てきそうです。
境内の端のほうでバイカオウレンの葉と思われるものを見つけましたよ。前夜雨が降ったので、緑も鮮やかです。
バイカオウレンは2月頃、白い小さな花を咲かせるそうです。その頃にもまた行ってみたいですね。
ドラマでは万太郎の生家は造り酒屋の「峰屋」ですが、実際は「岸屋」という名前だったそう。今は生家の土地の一部が牧野富太郎の資料館になっています。
生家のすぐ裏手が山で「金峰神社」の裏参道である石段が続いています。
左写真は西日が当たって上のほうが暗くて見えませんが、とにかく急な石段なんです。150段らしいのですが、子供の富太郎がここを遊び場にしていたと聞くと、幼少期に体が弱くても、次第に足腰が丈夫になっただったろうなあ、と想像されます。
鳥居があるのが金峰神社の表参道の石段で、私たちはこちらから降りましたが、これも急階段。
実はその前に日本酒を2本を買ってしまい、重い紙袋を持って階段の上り下りをしたためハードさも増幅。お土産の日本酒を買うのは、金峰神社から降りた後にすることをおすすめします、はい。
万太郎が学んだ「名教館」のロケに使われた石段を見つつ「牧野公園」へ
金峰神社の鳥居を背にして右に進むと、万太郎が通った学校「名教館」のドラマロケに使われた石段が。こちらは現在の青源寺の石段です。
石段を上らずに、道をその先へ進むと「牧野公園」に入っていきます。
山の斜面一帯が牧野公園として整備されていて、たくさんの植物が育てられ、植物解説のプレートもあって楽しめます。牧野博士が新種を発見し、妻の名前をつけた「スエコザサ」も。
ちなみに牧野公園は、牧野博士が東京から送ったソメイヨシノの苗を植えたことがきっかけとなって、のちに公園として整備されたため、今でも桜の名所なのだそうですよ。(桜の時期にも行ってみたい。)
牧野博士のトレードマークである胴乱(採集した植物を持ち運ぶブリキ製の容器)が置かれたベンチ。
また、今回は行けませんでしたが、ここから数キロのところに牧野博士がフィールドワークの地としていた横倉山もあります。起伏に富んだ土地で、様々な植物に囲まれて育ち、あの牧野富太郎が出来上がっていったのだなあ、としみじみ感じることができましたよ。
佐川は昔も今も酒蔵の町
牧野公園から坂道を降りて来たら「酒蔵の道」へ。
富太郎の実家の岸屋をはじめ、この地区にたくさんあった造り酒屋が統合された「司牡丹(つかさぼたん)酒造」の長い壁が続きます。残念ながら週末だったので見学できませんでしたが、平日は事前予約をして問題がなければ、中も見学させていただけるそうです。
翌日、ずっと憧れてきた高知市の「高知県立牧野植物園」へ
「高知県立牧野植物園」は高知市の五台山の起伏を生かした広~い植物園。牧野博士の業績を称え広めるため、博士が亡くなった翌年(1958年)に開園したそうです。土佐の植物生態園や、牧野博士が命名したり植物画に描いたゆかりの植物が植えられたコーナーをはじめ、3,000種以上の植物が育てられています。
美しい温室も。
牧野博士が描いた植物図が実際の植物の横に展示されていて、改めてその精密さに感心。
「『らんまん』で紹介されました」マークや今花が「咲いています」マークもついていて、楽しさ倍増。
牧野富太郎記念館の展示館が、また「らんまん」ウォッチャーにはたまりません。資料や写真、晩年の書斎の再現など、牧野博士の94年の生涯を垣間見られます。博士の植物採集時の様子がわかる写真や、博士が描いた植物図に心を奪われましたよ。
ドラマでも万太郎が描いていた「やまざくら」の植物図。1枚の紙の中に植物のすべての要素をわかりやすく配置するセンスも見事です。(一般来園者は撮影禁止マークのあるところ以外は撮影が可能でした。)
その後、牧野博士が創刊した「JOURNAL OF JAPANESE BOTANY(植物研究雑誌)」のデザインにほれぼれ。
「高知県立牧野植物園」は様々な植物を間近に解説付きで見られるのはもちろん、牧野博士の人生・人となり・植物への深い愛情が感じられる場所でした。
さて、我が身を振り返ってみますと、私は父の転勤で1960年代に群馬県高崎市の丘を切り開いた新興住宅地で5~10歳までを過ごしました。裏山の斜面を駆け巡り、小川でオタマジャクシをたくさん捕まえ(家で水槽で育てて、数十匹の小さなカエルになると、あわてて元の小川に戻しに行く!?)、当時まだ十分に残っていた自然にどっぷりつかって育ったものです。
でも今回植物園を巡ってみると…
子供の頃見知っていた多くの植物に接して懐かしさでいっぱいなのに、名前がとんと出てこない…。
「高知県立牧野植物園」や「牧野公園」でネームプレートを見て「あ、そうだった」と思い返すことしきりでした。とほほ。
では、失礼していつもの「定年女子あるある(かもしれない)川柳」を。
植物を見て…
懐かしさ あふれ出るけど 名前出ず
さて、こちらは高知で買ったもの。下段左の「やまざくら」と「すみれ」の植物図のカードは「高知県立牧野植物園」で。下段中央のお皿の上は、日曜市で買った山椒と生姜。お酒は佐川の司牡丹のものです。
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