★最初に「十和子道」担当より
ある日の遅い夕方、私は表参道のカフェで十和子さんと打ち合わせをしていました。
窓の向こうを行きかう制服姿の学生がふと目に入り、「下の娘さん、今おうちでお留守番ですか?」とききました。
そろそろ夕食の支度をする時間が迫っているのでは、と気になったからです。
「今は数学の塾に行ってるので今日はまだ大丈夫」そう答えた十和子さん。
そしてそのあと続けて言いました。
「会社から帰宅するのがいつも7時をまわっちゃうんですけど、本当は6時には家に居てあげたいんです」。
この連載の初回に掲載しましたが、私と十和子さんのおつきあいは10年以上になります。
初めてお会いしたとき家業(当時は服飾)のお手伝いはしていたけれど、ほぼ専業主婦だった十和子さん。
ふたりの娘さんはまだ小さく「昨日、夕方娘にせがまれて絵本を読んでいるうち眠っちゃったの、気付いたら30分近くも経ってて…」と話すこともありました。
その生活は上の娘さんが小学校の高学年になったころ、自社ブランドの化粧品事業が飛躍的に成長したことに伴い変わっていきました。
今は毎日会社に行くのはもちろん、出張も多く、製品のPRイベントや製造工場の視察へと全国を飛び回っています。
美しく、元気にあふれ、ビジネスも順調。充実した人生を送っている十和子さん。
でもその一方で、もっとこうできたらと母親業に関しての葛藤があることをこのとき知ったです。
「子どもが小学生の頃は、忘れものをしたり、宿題がなかなか締め切りまでにはからどらなかったりすると、私がそばでケアしてあげられなかったからだと仕事を持っている自分のせいに思えて仕方がないときもありました」
十和子さんだってひとりの母。働く母。
そこで今回は働く母親としての気持ちをきいてみました。
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「十和子道」第11回
「子育てに正解はないけれど、働く母として感じる胸の痛み」
そのあたりの時間になると、テレビから聞こえてくるのは各局申し合わせたかのように、話題の調理法を紹介する料理関係の番組やB級グルメの食レポ。
それを外で目にしたり耳にしたりするたび、家にいる娘の顔が浮かび、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
本来なら、はりきって夕飯の支度をしている時間。
「おなかをすかせてテレビを観てないといいんだけど…」と、せつなくなってしまう。
専業主婦の母に育てられた私にとって、夕方6時に家のキッチンに立てないことへの違和感は案外大きいようです。
長女は独立し、下の娘(次女)も中学生になり自分の身の回りのほとんどのことは自分でできる年齢になったとはいえ、働く母として子どもに感じている罪悪感は、ちくりちくりと毎日顔を出します。
だから帰宅時になると「はやく、はやく!家に帰らなきゃ」と気持ちが焦ります。 専業主婦と有職主婦、どちらのあり方が望ましいのか?…という論争は、とくに赤ちゃんを育てている母親に関して折りに触れ世論をにぎわしてきました。
けれど答えなんて出ないでしょう。
私は「働く母」も「専業主婦」も、どちらもやらせていただいた身なので働く母の罪悪感、専業主婦の鬱屈や閉塞感、という互いが抱える痛みは理解できますが「どちらが望ましいのか」ともしきかれたとしても、わからないのが正直なところ。
手間暇をたっぷりかけた手作りおやつと、仕事の帰りに子どもの喜ぶ顔が見たくてお店に並んで買った話題のスイーツ。
どちらにも母親の愛情はたっぷりと注がれていて、そこで愛情の多さ、少なさなど計れません。
…と、頭では理解しているけれど、6時になるとひりひりと痛みだす私の罪悪感…。
ストレスは美肌の天敵、すぐに手放すべきだと公言していますが、こればかりは今のところ退治できそうにありません。
うーん…。
今回の取材で「十和子さんの子育てのポリシーはなんですか?」と聞かれ、気の利いたことを言えるといいのだけれど…と、一瞬ぐるぐると言葉を捜してみました。
出てきたのは「できる限り子どもたちの目を見て返事をすること」。
私が心がけていたことは、なんだそんなこと…と言われるような、ごくごく当たり前のことです。
上の娘がまだ小さかった頃、義母に言われた言葉が今もずーっと残っているのです。
当時、初めての子育てと慣れない家業のお手伝いのことで頭が一杯だったのでしょうね、子どもに「ママ、ママ」と言われても顔も見ずに「はいはい…」と生返事をする私に「顔ぐらい見てあげなさい」と、義母がぴしゃり。
思わずはっとしました。
「あなたを見ています。あなたの声を聞いています」というコミュニケーションの最小のシグナルをきちんと発信すること、それはそのまま私の子育ての基盤になり、人間関係を築く上でのルールにもなりました。
私の「働く主婦のお手本」は義母でした。
義母は服飾デザイナーで、オートクチュールサロンの経営者という多忙を極める毎日を送りながら、家事も育児も一切手を抜かずにこなす才能に恵まれた女性でした。
「時短」という主婦の魔法を習ったのも義母から。
義母は会社帰りに買い物をし、玄関に入るとコートも脱がずにキッチンに直行し、キュウリやトマトなどのお野菜を洗い桶にざぶざぶとつけたかと思うと、やおら手を洗いエプロンをつけ、煮物やお肉の下準備をちゃちゃっとすませ、ここでようやく着替え。
お鍋に火をかけたところで、キッチンの脇に置かれたバッグやコートはやっとクローゼットにしまわれる…。
その無駄のない動き、動線のとり方の鮮やかさといったら、惚れ惚れするほど!
義母は主人が身につけるすべてのもの(ジーンズや靴下まで)にきっちりとアイロンをかけていたのですが、アイロンがけが最短時間ですむようにと、とても斬新な洗濯物の干し方をしていました。
洗濯物は5分ほど乾燥機にかけ、生乾きの状態で床に敷いたレジャーシートの上に広げていきます。
ひとつひとつ丁寧にしわをのばして。
ハンカチのレースもフリルも指先でつまんで、復元するようにのばして。
「こうやって干すとアイロンがけがうんと楽になるのよ」と。
義母には遠く及びませんが、私の時短好き(?)は義母の影響でしょう。
そんなお姑さんでは、新米主婦の私はさぞやプレッシャーを感じたのでは?と、よく言われますが、プレッシャーや引け目など感じる余力すらない不肖の嫁だったので(笑)、ただただ「お義母さまは凄い人だわ」と、師匠をリスペクトするアシスタントのような気持ちでした。
でも、義母の完全無比な働きぶりは目に焼きついていて、どこかで「私も義母のように」と、「仕事と子育ての完璧な両立」を目指していたところがあったのかもしれません。
今でこそ、「自分の能力にはできることとできないことがある」や「自分の手に余ることを上手に見切る」、「その握力は頑張りなのか?それとも執着なのか?を明確にするのが大事」ということがわかり、自分らしい働き方も見えてきましたが、当時は愚痴や弱音を口にすることすら、母としても働く女性としても「失格」だと思っていました。
「働く母」が立ち行かなくなったとき、その焦燥や怒りや憂鬱というストレスのしわ寄せはまず自分へ、そして次に身内に向かいます。
私も抱えきれないイライラを子どもたちにぶつけてしまったこともあったと思います。
だから…言い訳になるかもしれませんが、その頃から「私は今、何が一番大事なの?」と自分で自分に問いかけるようになりました。 かけがえのないもの、とりかえのきかないものを守りたい。
それはビジネスにあっては、お客様であり、社員であり、製品へのプライドであり。そこでは家庭は二の次になるでしょう。
プライベートにあっては子どもたちであり、主人であり、家族のつつがない生活であり。仕事は当然圏外になります。
「歩くとき、道や靴や歩き方にこだわりすぎてはつまずいてしまう」そんなことがわかったのも、たくさんこけつまろびつしたからこそ。
そして、つまづくたびに手を差し伸べてくれた主人の存在は私にとても大きかったと思います。
パーフェクトな働く母に育てられた主人は、私という不器用な「働く女性」に寛容でした。
マスコミから「必ず離婚する夫婦」と、結婚当時から言われ続けてきた私たちですが、存外長く楽しく夫婦をやってこられたのは、主人の飄々としたフェミニズムと「うちはうち、よそ様はよそ様」という彼のシンプルで骨太な考え方にあったのかもしれません。
主人の存在なしでは、私は「働く幸せな母」にはなれませんでした。 (上の写真 母の日や誕生日に娘さんたちからもらったカード)
ママ友とのおつきあいのあり方も年月とともに少しずつ変わっていきました。
ママ友というのものは、友の前にママが付き、ママという共通項を持つ者同士だけが友になるという、どこか不思議な関係です。
でもそんな独特な人間関係も、胸を開いて向き合い、本当の自分をさらさなければ信頼関係は結べない。
そんな当たり前なことが上の子のときには、必死すぎてわかりませんでした。
結婚当時のマスメディアで起きた騒動がトラウマになっていて、人様を信じて頼ることがうまくできなかったのかもしれません。
「ママ友」とのお付き合いを通して、職場には職場のルールがあるように親同士のルールもある、そのコミュニティごとにベストなルールがあるのだ、ということを学ぶことができました。
そしてそのコミュニティも子どもの成長とともに変化していくもの。
この年になれば、仕事も家事も育児も人間関係も、できることとできないことがさすがにわかってきます。
たとえばママ友のお茶会も行くのか行かないのかの逡巡の二択ではなく、時間的に行けるか行けないかのシンプルな二択になりました。
先日、こどもたちに言われて、思わず苦笑したことがありました。
ひさしぶりに家族4人が集まり、みなで食事にいったときのこと。
火がついたように泣いているお子さんがいました。ご両親はけっこうゆるりとその状況を見守っている感じでした。それを見ていたうちの娘たちが帰りの車の中で「あの子がうちの子だったら、秒殺で泣きやまされてるよね」「うちだったら、速攻でママに“泣きやみなさい!”って雷落とされてたね」と、話していたので、「本当ね。ママ、昔はよく怒ったわよね……」
「“静かにしなさいっ!”って」
…と、軽く演技で言ってみたら、ふたりとも息をのんでシーンと静まり返ってしまったのです。
「…え? 何、どうしたの? ここ笑うとこなんだけど。え? ママ怒ってないわよ」と、私の声だけが車中に響くという始末。
娘たちは私のドスの効いた(?)声を聞くと固唾を飲む…っていうパブロフの犬というか条件反射になっているみたいで、静まり返る車中で「私、けっこう怖い母親だったのね…」と、ちょっとだけ胸が痛みました(主人まで息をのんで怖がったのが心外だったんですけれど)。
「公共の場で人様に迷惑をかけてはならない」ということに関して、意識的に厳しくしてきたことは確かです。
この子たちの躾のために…というより、「母親が働いているから躾が行き届いていない」「テレビや雑誌に出たりと、一般的な母親とは違う人の子どもだから我がままだ」と後ろ指を差されることだけはさせまい、という思いは過剰なほどに持っていました。
「人目」や「世間体」といったものを気にして育てたことは否めません。
娘たちには、そういうことを無言でも有言でも強いていたのかな…。そう思うと、やはりちくりと胸が痛みます。 (上の写真 幼い子どもだからといって適当な食器を使わせたくなくて、デザインが美しく落としても割れない食器を探し求めた)
先日、次女がディズニーランドのスプラッシュマウンテンに乗っているときに撮られた写真を見てひとこと。
「お母さんって、こういうときでもカメラを意識して顔をつくってるよね。隣の子どもなんて、泣いてるのに。この差は凄いよ(笑)」
習い性というか職業病というべきか、滝つぼに落ちる瞬間も無意識ににっこりと笑っている私。
「あら、怖い」と私も強気で応戦。 こんなビターな会話のやりとりは娘を持つ母の醍醐味でしょう。
女のコって手ごわくて可愛くて面白い。
もっともっと色んなことを言ってね、笑わせてね、たくさん話をしてね。
母と娘、女同士のお楽しみはこれからなんだから。 (上の写真 下の娘さんが学校の授業でつくったもの。ダイニングルームに飾ってある)
撮影/冨樫実和 取材・文/稲田美保 ヘア/黒田啓蔵
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