50数年生きているのに、自分の性格がイマイチよくわかっていないのですが、ひとつ確かなのは「喜びや悲しみに襲われるとき、感情の成分を分析しようとする」という、素直とは言いにくい傾向です。
例えば、甥っ子の受験がうまくいったときは「うれしい!ただ、なぐさめの言葉を探さずにすんでほっとした気持ちのほうが強いかな」と感じたり、かつて愛犬を亡くしたときは「悲しみより、テキトーな飼い主でごめんという気持ちが大きすぎる」と思ったり。
つまり、何かにつけ言葉で説明(言い訳?)したい性格という気がしますが、私を上回りそうな人、ではなくて生き物に出会いました。
それはオランダの作家トーン・テヘレンが発表した大人向けの〈どうぶつたちの小説〉シリーズの1冊『ハリネズミの願い』の主人公。
特に名前はなく、「ハリネズミ」と呼ばれていますが、彼の自己弁護っぷりというか、“説明したがり”はかなりのものです。
そしてそれはすべてマイナス思考なのだから、同情もするけれど思わず突っ込みたくなるというか……。
そもそもなぜハリネズミがそんなにもマイナス思考なのかというと、いつもひとりぼっちだから。
「訪ねてくるものはだれもいないし、偶然だれかが通りかかり、(ああ、ここにハリネズミが住んでるんだったっけ)と思ってドアをたたいても、ハリネズミは寝ているか、あまりにも長くためらってからドアを開けるものだから、そのだれかは通りすぎてしまっているのだった」
こんな状態なのです。
あまりにもひとりぼっちなので、みんなを招待する手紙を書いたものの、最後に「でも、だれも来なくても大丈夫です」と書き足すほど臆病なハリネズミ。
結局、手紙を出すことはありませんでした。
なのに、クジラやサイ、ゾウにカミキリムシにカタツムリにカメ、ヒキガエルにダチョウにクマなど、思いつく限り(!?)の動物が自分の家にやってきたときのことを想像してしまう。
そしてもれなく、それぞれの動物が自らの特徴をふまえたもてなしを期待すること、ハリネズミがそれに応えられないだけでなく自分自身も迷惑をこうむること、つまり残念な結果になることを勝手に思い描くのです。
なぜここまで性格がこじれているのかというと、ハリネズミが“刺すと痛いハリ”をからだじゅうに持っているという、自分の特徴にしてコンプレックスの問題があるようなのですが……。
彼が説明する“ともだちを招かない(招けない)理由”を読んでいると「自己中心的で、自分が傷つかずにすむようなストーリーを作っているだけでしょ」と、ちょっと言いたくなります。
例えば、「来年の夏になったら招待してみようか」と問題を先送りにしたり、「ぼくがほしいのはドアだ。だれかに訪ねてほしくないときには開ける必要のないドア、だれも衝突して穴をあけて入ってこない頑丈なドアがほしい」と都合のいいことを考えたり。
「そこまでして自分を守りたいの?」という皮肉な感情が芽生えたとき、ふと頭をよぎったのは「自分を守るために必死に言い訳を考える」「これでよかったと思える理由を探しまくる」傾向は私にも大いにあるということでした。
多分この物語は、風刺が一番の目的ではないと思います。
動物たちが「いかにも言いそうなこと、やりそうなこと」をするのが笑えるし、「人間にもそういう人がいる!」と思うのは確か。
でも、とぼけた味わいのほうが大きいので、童話のように読んでしまい、「そういえば私にも?」という感想はあとでじわじわやってきます。
ちなみにこの本は2017年の本屋大賞翻訳小説部門で1位となった作品。
多くの書店員さんに支持されたのは、幅広い層の方に受け入れられる本であり、さまざまな受け止め方ができる本であり、読後感想を述べあうのが楽しそうな本、だったからではないでしょうか。
最後にハリネズミがどうなったかは、もちろん読んでのお楽しみ。
劇的ではないところが私の好みだったし、ハリネズミのこれからが想像できて、何だかほっこりしました。
装丁や挿絵もかわいいので、プレゼントにもぴったりの『ハリネズミの願い』。
無性に孤独感に襲われた時、自分に味方はいないのではと心細くなったとき、この本を読んだらクールに自分を見つめ直し、小さくても確実な一歩を踏み出せるような気がします。