気がつけば、私たちの生活にすっかり定着したメール。(最近はもっぱらLINEという方も多いと思いますが)
今、ちょっと調べてみたところ、iモードが誕生したのが1999年2月。私が遅まきながら携帯メールを始めたのは、その少しあとだった記憶があります。パソコンでメールを始めたのは携帯メールより早かったので、考えてみれば20年近い付き合い!
人によって違いがあるのはもちろんですが、こんなにも月日が経ったんですね。
そのせいか手紙を書く機会は減ってしまいましたが、目上の方には「やはり手紙でなければ」と思うし、そもそもメアドを知らないこともあります。
そしてなぜか無性に「紙に文字を書きたい!」という気分になることも。それは、素敵な便せんやはがきを選ぶ楽しさとセット、なのかもしれません。
というわけで、時折「さあ、書こう!」「書かなければ!」と思い立つものの、毎回そこではたと手が止まってしまいます。なぜなら、書き出しの言葉がなかなか出てこないから……。
一般的には季節のあいさつから始めるものでしょうが、「天高く馬肥ゆる秋」みたいな常套句すぎる言葉だとピンとこないし、「日ごとに秋が深まりますが」だとあまりにも普通。かといって、オリジナリティーにあふれすぎていても伝わりにくい。
「季節が感じられるセンスのいい言葉はないかな」と、いつも考え込むのです。
『にほんご歳時記』を書店で手に取ったのは、そんなもどかしさがあったからだと思いますが、もちろんこれは手紙文例集ではないし、一般的な歳時記ともちょっと違います。
いわば、言葉を手掛かりに季節の感触を思い出させるエッセイ。
「センスのいい言葉って簡単に考えつくものではないけれど、ここに書かれているようなことを知っていると土壌ができていくのかな」としみじみ思いました。
ちなみに著者は日本文献学が専門で、イギリス、フランス、中国の言語や文化に明るい学者。奥様はフランス人で、俳句を作る方なのだそうです。
この本は普通の歳時記同様、春、夏、秋、冬の順に、時の流れを追うように書き進められています。
だから最初から読んでいってもいいし、そのときどきにふさわしいページを開いてもOK。気分次第でどんな順番でも、どこで区切りをつけても気にならないという自由さがあるので、すきま時間の読書にぴったりです。
キャッチコピーをつけるとしたら
“一滴でも心が潤う美容液みたいな本”
でしょうか。
春の季語「霞」と秋の季語「霧」の違いから光源氏の長男・夕霧の運命に思いを馳せたり、冬の季語「七五三」が明治期の「産めよ、殖やせよ」政策で全国広まったと知って驚いたり。
挙げればキリがないほど、今まで気づいていなかったことを教えられたり、新たな知識を授けられたりしたのですが、私が一番「へえ~!」と思ったのは
「七月、手紙の書き出しは、五日から一週間ごとに替わっていく」という話。
つまり
第一週は「向暑の候」
第二週は「盛夏の候」
その後「大暑の候」、「炎暑の候」、「猛暑の候」、「酷暑の候」、「極暑の候」といった言葉が使われ、七月の終わりには「蝉合唱の候」合になるのだとか。
暑さの上昇カーブを見事に言葉で表している、と思いませんか?
改めて、微妙なニュアンスを使い分ける日本語って素晴らしい……。
さて、こういった本を通して大人の教養を身につけたいのはもちろんだけれど、子どものような新鮮な感覚も忘れたくないと思う、欲張りな私(笑)。
というのも、伊坂幸太郎さんのエッセイ『仙台ぐらし』を読んで、「彼の小説がいつも面白いのは、物事を馴れ合いみたいな感覚でとらえないからだろうな」と思ったから。
「タクシーが多すぎる」、「見知らぬ知人が多すぎる」、「消える店が多すぎる」、「機械まかせが多すぎる」など、「大人になるとそういうことを気にしなくなるけれど、確かにそう!」と感じるようなエピソードがここにはいっぱい。
伊坂さんの愛読者はもちろん、入門書としても楽しめるので、ぜひご一読を。
心配性の彼の姿が目に浮かんできて、いつのまにかあたたかい気持ちになること間違いなし。
そして、自分の日常を初々しい目で見つめ直したくなることも間違いなし!です。